年内に年賀状を書くことを断念した。そして年頭に受け取った二十枚弱の2021年の年賀状を見直している。その中に同年齢の知人から「この度年賀状作成を千秋楽と決めました」というのものがあった。書道家としての職業柄かなりの数の賀状を毎年作成していたのだろう。几帳面なお人柄を思い起こした。
昨年なにを思ったか、二十数年前にグル一プでハンガリー旅行したH氏に何年かぶりに賀状を出した。それに対して「二首とも生活哲学的なものでおもしろいと思います。小生らは今年三月に八十路を歩み始めます。またお会いしたいものです」という賀状が届いた。私の短歌作りはあの刹那だけだったことが、この賀状によって思い出され、継続できないことの自己反省をしたのだった。(ハンガリー旅行アルバムから)
話は前後するが、11月30日に八丈島の旅行から帰ってみるとつぎのような喪中の葉書が届いていた。「夫 ○○が7月7日に八十歳で永眠いたしました」という文面である。Y氏の奥様からで、葉書が投函されたの日付を見ると11月26日となっている。久しぶりにY氏との賀状交換がなければ奥様からの連絡の葉書を受け取れていたかどうかわからない。
わずかな枚数なのだが、賀状を書く意欲が年々失われている。今回は届いた賀状に、年明けに返事をさし上げることにした。いつのまにやらそういう事態に追いこまれている。そしてなぜか八丈島のホテルの浴槽の中から二日続けて見た日の出の神々しさを思い出している。そして負け惜しみ承知でつぶやく、「太陽は毎日昇る」と。