玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*アンケート結果

2021年06月28日 | 捨て猫の独り言

 小平市が年末年始に行った新設公園に向けたアンケート結果の報告が届いた。予定している公園周辺地域の各戸に配布して回収率は32%だった。それを読んで「まあこんなものかもしれない」と思った。ともあれ結果報告には感謝したい。

 期待することの第一位は「花や緑等がたくさんある」、第二位は「休憩やリフレッシュができる」などと続く。不満なのは具体的でないことだ。例えば「通りに面した二辺をクロガネモチの大木で囲みそれぞれの下にはベンチを並べる。ちまちました花壇は不要」

 こんな具体的またはユニークな提案もあったはずだ。それをそのまま列挙して掲載してもらった方がよかった。「キレイで清潔な広いトイレ、オムツ替えが行なえる場所を整備して」は唯一具体的だがこれは無理な注文だろう。

 

 報告は無難にまとめすぎて「特色ある公園」像から遠ざかった印象だ。公園の仮称を「鷹の台公園」としている。なぜ「たかの台公園」にしないのか。住居表示だって「たかの台」である。せめて真夏には木陰のある公園にして欲しい。

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*法案まかり通る

2021年06月24日 | 捨て猫の独り言

 「ご指摘は当たらない」「詳細は承知していない」「今申し上げた通りです」「失礼じゃないでしょうか」こんなことを聞かされるストレスからひと時でも逃れたい。なかなかできのいい投稿に出会った。⇒「特技」質問を聞かなくても答弁できるー菅首相。

 ブログ「海鳴りの島から」のチェックを欠かしたことはない。辺野古新基地建設を阻止すべく、沖縄市民の絶えることのない運動を豊富な写真動画を交えたほぼ連日の報告だ。対米従属の強大な国家権力が、無能無策のままに県民の民意を踏みにじる。

 沖縄ではコロナ拡大により抗議行動も制限がある中、数少ない有志がすこしでも工事を遅らせようと、土砂を積んだダンプの前に立つ、海上ではカヌーで抗議する。沖縄で6月23日は「慰霊の日」で公的機関は休みになる。もう本土の「防波堤」になりたくない。

 多くの国民がその本質を理解していないであろう法案が国会で成立した。「重要土地等調査・規制法案」という。軍事基地や原発など、国防上の「重要施設」について、周囲の土地利用に制限が加えられる。真っ先に頭の浮んだのはキャンプ・シュワブのゲート前にある、集会用に建てられた小屋のことである。 

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*COVID-19

2021年06月21日 | 捨て猫の独り言

 パンデミックは世界の国々を半ば鎖国状態に追い込んだ。都市を結ぶ飛行機の発着便数はどれほど減ったのだろうか。よくものごとには両面あるという。飛行回数の減少は地球環境にとってはプラスである。孫たちは当然日本への出発前にワクチンを接種している。

 さらに、直前にはPCR検査の陰性証明を受けた。フライトでは乗客が少なく、よく眠れなかったが座席を占有して横になれたという。15歳未満の妹の方には、到着出口まで係員が付き添い、受けとる側の私はその場で身分証明の提示を求められた。

 羽田空港から自宅までは公共機関は利用禁止である。予約していたハイヤーで帰った。覚えたてのスマホが大いに役立った。運転手さんに電車の中からメールで返信し、到着ゲート前から電話を入れた。私にとってスマホの初活用で改めてその便利さを知る。(未熟)

 

 原則として到着後2週間は自宅待機である。厚生省から毎日うるさく確認の連絡がくる。到着翌日に市役所に「転入手続き」のため3人で出かけた。ところが、2週間後でないと手続きはできないという。このさき帰国直前のPCR検査をいつどこで受けたらいいのか、これまた悩ましい。 

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*小学生新聞

2021年06月17日 | 捨て猫の独り言

 日本語を十分話すことができない孫たちのために小学生新聞を二カ月間配達してもらうことにした。少しでも日本語の語彙を増やしてもらえればいい。半ば強制的に一緒に声を出して読んでやる大変な役目はババが担当する。

 新聞業界も購読者の減少によって経営に苦労しているようだ。この3月に、この地域では予想もしてなかった事態が起きた。毎日新聞の販売所が朝日新聞の販売所に吸収されたのだ。朝日の販売所から毎日が配達されることになった。

 「購読料の支払いが口座振替、クレジット払いの読者様は当面の間は、再度のお手続きは不要」とある。この販売所の吸収で、その組み合わせのことが念頭に浮んだ。そして「朝日・毎日」「読売・日経」などのようにメディアの分断、さらに国民の分断へと進むのではないかというネガティブな連想が生じた。(右端はネジバナ)

 

「毎日小学生新聞」の編集長は女性である。「6さいからのニュース」、漫画で学ぶ「論語くん」、一つだけの正解がない問いを語り合う「哲学カフェ」、俳句募集の「キラリ一句」「15歳のニュース」など小学生新聞は一般紙より面白いことに気づいたのはジジである。

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*ヒメジョオン咲く

2021年06月14日 | 捨て猫の独り言

 散歩の途中農家の畑を観察する。5月になると、さらさらした土の畑にはすくすく育ったタマネギが、にょきにょき土の中から半分顔を出してならんでいた。昨年植え付けた庭のタマネギの成長はずっと変調だった。そしてついに収穫はあきらめた。

 土壌や肥料の問題だろうが、今のところ全くその解決策はわからず打開の目途は立たない。キュウリ、トマト、ゴーヤなどの果菜類は勝手に育ち、毎年それなりの収穫がある。初めてのダイコンはまあまあ、しかし初めてのニンジンそして葉茎菜類に分類されるという初めてのタマネギは完全な失敗に終わった。

 6月10日にヒメジョオンが咲いていることに気づいた。まるで同じ姿のハルジオンとヒメジョオンの二つがあり、5月の小満の頃に入れ替わることを知ったのはつい最近だった。そして二つの見分け方もそのとき知った。茎から出る葉のつき方が異なる。(6月10日の姫と春)

 

 楚々として風にゆれるヒメジョオンを見つけた場所は、5月のハルジオンの場所とは異なっていた。そこへ移動して観察するとそこに立ち枯れしたハルジオンの姿があった。その近くの畑で若者二人が見なれない作業中である。尋ねると「赤米」の栽培だという。田んぼでなく畑だ。秋に収穫するという。私の楽しみが一つ増えた。

 

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*夫婦の呼称

2021年06月10日 | 捨て猫の独り言

 夫婦の呼称の問題は、「呼び方、呼ばれ方」、「家の内と外」「相手配偶者の呼び方」などに分岐してゆく。私の場合は「妻」のことを「連れ合い」「家内」「カミさん」「同居人」などをその時々の気分で使っていたように思う。よく知る相手には、実名の「〇〇子さん」となっていた。

 「嫁、女房、ワイフ」などはあまり使ったことがない。「パートナー」は連れ合いと同じような印象だから、もっと普及してもよさそうに思う。そうならないのは「一歩前を行ってる感」が少し鼻につくからだろうか。(カボチャの雌花と雄花)

 

 「同居人」は少数派のようだ。ところで知人の柔道家が「奥様」のことを、一貫して「敵」と呼んでいた。これにはさすがにびっくりである。ウイルスから妻にいたるまで、原理的には心身の安定をかき乱すものは「敵」にカウントしているものと考えられる。

 日本語は多様だが「夫」「妻」が一般的になってきている。それでも悩ましい問題が残っている。男性の配偶者に対しての「奥さん、奥様」は許せる気分がする。それに対して女性の配偶者の「ご主人、旦那さん」はどうしても抵抗感は残る。しかし「夫さん」が広まるとはとうてい思われない。

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*二人だけの旅

2021年06月07日 | 捨て猫の独り言

 昨年はアトランタで正月を迎えた。㋀20日に帰国してまもなく日本でもコロナ感染拡大が本格化した。孫娘二人は13歳、15歳となりしばらくは夏休みを利用して日本に来ることはないものと思っていた。ましてや日本のコロナ感染はまだ出口が見えない情況だ。

 ところがあれよあれよという間に、孫二人がこの夏休みを2ヶ月近く日本で過ごすことになった。そして航空券の手配がすんでしばらくした5月24日に日本では、アメリカ国務省が「日本への渡航中止を勧告」ということが大々的に報道された。

 さてどうしたらよいのか、問い合わせたようだ。すると勧告であって中止するかどうかは当事者の判断、いわゆる自己責任ということである。今回初めて子供たちだけで7日に来日する。母親は渡航をあきらめさせる気はさらさらない。あっという間に障害は乗り越えられた。

  

 最近はこれが最後という気分で孫を受け入れている。やれやれと思いつつも孫との暮らしは、こちらが賦活(これは内田樹に教わった言葉)させられるのだからありがたいことである。髭を剃り、鼻毛をカットして、できうるかぎり小奇麗にしていようと思う。賦活=活性化。 

 

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*たびたび養老先生

2021年06月03日 | 捨て猫の独り言

 「この中で意識のない人いますか?」養老先生はこう言って会場の聴衆を笑わせる。「意識的活動は脳の産物だ」というのが唯脳論である。意識的活動の産物でないものこそが実は多いのだと指摘したつもりなのに、世界が脳の産物と誤解されると嘆く。解剖学者は死体を見てそこに自然を発見した。たしかに脳は人工物でない。

 「唯脳論」は、唯心論を唯物的に語るための「方法」だ。心が先なのでも物質が先なのでもない。「脳」ということでお話を始めれば、それはどちらの側からも語られ得るということを示す唯脳「法」であると言ったのは池田晶子である。(喜寿・柳宗悦作)

 

 ある数学者が、学生相手に「《神》などというものが言葉の上だけにしかないように、《真理》などというものは存在しない」という話に続いて「だれでもが知っていて、誰もが見たことのないものが四つある。それは、点と直線と平面とオバケ、ではお粗末」と語った。

 数学者は見たことがないものを現実だと本当に信じている。そして脳にはそういう「クセ」があるのだと養老先生はのたまう。「個人心理何ていうものはない、あるのは社会心理だけなんです。この考えを採っているのは私のほかに岸田秀さんぐらいです」の発言もユニークだ。

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