玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*戦間期と現在③

2024年08月26日 | 捨て猫の独り言

 幣原喜重郎(1872∼1951)は、1931年関東軍の独走で起きた満州事変で内閣が倒れ外相を退く(終戦後に首相を務めた)。幣原は講演で「冷静なる態度をもって、双方に公平なる、意見を公表する者は、ややもすれば、その愛国心を疑われ悲憤慷慨の口調をもって相手国に対する反感を扇動する者は、かえって聴衆の喝采を受ける。この人心の傾向はしばしば国際関係の円滑を妨げるところの一大要因である」と述べていた。

 一方幣原の協調外交を「軟弱外交」と批判した松岡洋右は33年の国際連盟総会に主席全権として派遣され、満州事変での日本の行為が違法と認定されると会場を退出し、日本は連盟脱退を宣言。帰国すると市民から熱狂で迎えられた。40年に外相となった松岡は日独伊三国同盟を結び日米開戦の伏線となった。

 百年前はマスメディアの興隆期だった。ラジオ放送開始、婦人雑の普及。新聞は戦争ビジネス、好戦的な大衆が読みたいであろう記事を出していた。軍縮を掲げた朝日新聞も不買運動や軍部の圧力に押され姿勢を転じた。部数は伸びていく。世論を反映したメディアの言説は町内会や学校を通じて社会に浸透。そこで上がる声が世論の熱狂として再びメディア上にこだまする。

 戦後日本の世論は戦禍の記憶から「軍拡」への懸念を抱いてきた。ただ2022年のロシアのウクライナ侵攻開始以降変化がみられる。同年末に出た防衛費のGDP比2%への増額方針に世論の大きな反対はなかった。同年の世論調査によると「戦争が起きるかもしれない不安」を以前より感じるという人が約8割だった。情報環境も百年前と同様変革期にある。SNS上では刺激的な情報が閲覧されやすく極論が広がりやすい。既存のメディアに冷静な報道姿勢が求められている。

 

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*夏の夜の夢

2024年08月19日 | 捨て猫の独り言

 毎木曜の夕刊で三谷幸喜の「ありふれた生活」を読む。つぎは8月8日の記事からの抜粋です。《僕は2歳の頃から東京で暮らしているけど、夏がこんなに暑くなったのは、体感としてはここ数年である。子供のころ気温が30度を超えることはそうなかったような気がする。地球温暖化は進み、春夏秋冬はすでになくなってきている。今は「なんとなく春」「夏」「なんとなく秋」「これって冬?」みたいな感じか。「夏」「夏」「真夏」「夏」にならないように、それぞれが何をすれば良いか、真剣に考えるべきだろう》

 甲子園球場で高校野球が開催中である。これまでになかった暑さ対策がいろいろ行われるようになった。日中の暑い時間帯に試合をしない2部制が導入された(完全入れ替え制)。ただしこれは最初の3日間だけだ。そして毎試合5回終了後に10分間のクーリングタイムが設けられた。それらの対策にもかかわらず、熱中症で足をつった選手が担架に乗せられ、あるいは仲間に背負われたりして退場する場面がめずらしくない。すると試合は中断され選手の治療中にはグランドに両チームの選手の姿はない。

 そこで高校野球の今後を考えてみた。まず時期をずらすのはどうか。センバツと選手権はそれぞれ春休み、夏休みを利用しての開催なので、学校制度との関係で難しそうだ。ならば場所を変えてみたらどうか。春はこれまでと同じ甲子園球場、8月は北海道の日本ハムのドーム球場とする。これは全く不可能というわけではなさそうだ。そして、どちらも出来ないとなれば甲子園球場を開閉式のドーム球場に作り変えてはどうだろう。これは国家的事業と捉えて財源の大半は国費で賄う。辺野古新基地建設のため無駄に使われている税金をこちらに回せばよい。それにはアメリカに物が言える気骨のある政治家の出現が必要となる。

 

 

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*戦間期と現在②

2024年08月15日 | 捨て猫の独り言

 戦間期のワシントン海軍軍縮条約(1922年)で戦艦の保有制限の受諾を決めた加藤友三郎海相(後に首相)は「国防は軍人の専有物にあらず」「国防は国力に相応ずる武力を備うると同時に、国力を涵養し、一方外交手段により戦争を避くることが、目下の時勢において国防の本義なりと信ず」と本国に伝えた。だが日本は1933年の国際連盟の脱退に続き、翌年に海軍軍縮条約からも離脱した。

 欧州でナチスドイツと英仏が衝突した1939年9月には帝国陸軍内部に「戦争経済研究班」(秋丸機関)が設置され、「経済戦力の比は20対1程度と判断するが、開戦後2年間は貯備戦力によって抗戦可能、それ以後は我が経済戦力は下降をたどり持久戦には耐えがたい」との報告書をまとめている。40年9月には近衛内閣が「総力戦研究所」を設置した。だがこちらも41年8月対米戦争は「必敗」と報告した。 

 安全保障にDIMEという言葉がある。外交(D)、情報(I)、軍事(M)、経済(E)の頭文字を取ったものだ。軍事だけでは国の安全が担保できない。DIMEを統合して国の安保を確保するという考え方だ。日本政府もDIME をかかげてはいるが「軍事」に重きが置かれ、政府一体の「総合的な国力」の底上げを図ろうとする意識は薄いようだ。

 日本は人口減社会に突入して、持たざる国に逆戻りだ。戦前はほとんどなかった社会保険料を含めた国民の負担は大幅に高まっている。安全保障環境の変化に応じて、防衛費を増やす選択肢はあるだろう。しかし、戦間期~開戦前にも指摘されていたように、国力に照らして無理のない計画か否かが問われる。世界で類をみないほどの財政状況のなか、借金頼みの防衛費増額に持続性があるのか。

 

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*戦間期と現在①

2024年08月12日 | 捨て猫の独り言

 朝日新聞の連載記事を熟読し歴史を学ぶことにした。その連載は7月30日の朝刊1・2面に「百年~未来への歴史」として始まった。「きょうも戦火が人々の命を奪う。世界は再び大戦に向かうか、引き返せるかの分かれめにある。歴史は繰り返さないが韻を踏む。私たちは二つの大戦の《戦間期》に着目したい」とある。連載は不定期で、序章として「瀬戸際の時代」とあるが、何章まで続くかはいまのところ不明だ。

 第一次世界大戦はロシア、イギリス(日英同盟)、フランス、アメリカと中央同盟国のドイツ、オーストリア・ハンガリー、オスマン、ブルガリアの戦争だ。1939(大正3)年から1918年まで4年間続いた。第二次世界大戦は英仏中米ソと日独伊の戦争で1939(昭和14)年から1945年までの6年間続いた。「戦間期」とは第一次と二次の間の21年間で、いまから百年前のことだ。第一次大戦後1920年に国際連盟ができ、世界は国際協調へと歩み始めた。

 ところが国際連盟の試みは世界の平和に責任を持つはずの日本などの常任理事国によって壊された。1931年日本の関東軍が満州事変を起こした。国際連盟はすぐに撤退を命じるも日本は拒絶する。リットン調査団は侵略と認定したものの満州での権益を認める妥協をした。それでも日本は不服として国際連盟を脱退する。占領は既成事実化された。こうした対応を見ていたイタリアはエチオピアに侵攻。ナチスドイツもズデーデン地方の割譲を要求、戦禍を繰り返したくない英国など欧州主要国はナチスの要求をのんでしまう。「力による現状変更」に対応できず、平和を保つために築いた戦間期の秩序は崩壊した。

 世界は第二次大戦後、再び戦争を防げなかった反省にたち国際連合を中心とする国際秩序を作ってきた。ところが今起きていることは、またもや安保理常任理事国が他国を侵略する事態だ。常任理事国の5カ国には拒否権が認められ、核保有が条約で認められている。仮に安保理が制裁や武力介入をしようにもロシアの拒否権に阻まれて動けない。安保理の機能不全を招いているのは米国もだ。拒否権を使ってイスラエルを擁護している。国際社会が戦争を終わらせることを優先してロシアのウクライナの領土占領を認めれば、力による現状変更を禁じる国際規範は崩壊する。

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*消費社会

2024年08月08日 | 捨て猫の独り言

 「消費社会」というのは現代社会を特徴づける言葉だという。生産と消費という社会の営みは昔からある。なぜことさら消費社会と呼ぶのだろうか。近代以前の社会は消費よりも生産に高い価値をおく社会だから「生産社会」といえる。やがて社会の多くの人々が消費の快楽を知ることで消費の価値が生産の価値を上回り消費社会が出現した。

  

 初期の消費社会は大量生産によって作られた画一的な製品を大衆が受動的に受け取るパターンだった。それが、差異、多様性、選択性といった価値が重視され、好みにあった製品を生産者に能動的に要求する消費社会へと転換する。とは言うものの、主導権を握っているのは生産者の側と私などは考えたいのだが・・・。

 フランスの思想家ボードリヤールの名を初めて知った。その著作「消費社会の神話と構造」は現代思想に大きな影響を与えたという。広告などの媒体、モデルチェンジなどを利用し「不必要なものを必要である」と購買意欲をそそる消費活動についてボードリヤールは消費とは「観念論的な行為」であるという。消費されるためには物は記号にならなければならない。堤清二は触発されてブランド品の向こうを張って1980年に「無印良品」を始めた。

 浪費と消費は違うという。浪費は贅沢の条件である。人間が豊かに生きるためには贅沢がなければならない。消費社会では人は物ではなく観念を消費するのであるから、どこまでも満足をもたらすことはない。ボードリヤールは消費と浪費を区別することで、消費社会がもたらした「現代の疎外」について考えた。その疎外は「暇なき退屈」をもたらしている。消費は退屈を紛らわすために行われるが、同時に退屈を作り出してしまうという悪循環に落ちる。

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*灯りまつり

2024年08月05日 | 捨て猫の独り言

 7月の半ばにキュウリは近隣に引き取ってもらうほど実った。今は畑からその姿を消し、トマトとナスがあと僅かの実りを期待されて引き抜かれずに残っている。サヤエンドウは立ち枯れて収獲ゼロで終わった。いまだにその無残な姿をさらしている。8月に入るとゴーヤのカーテンが分厚くなりつぎつぎに実をつけている。

 猛暑続きで体調維持が難しい。連日、朝からエアコンがうなりをあげる。記憶も朧だが昨年はこれほどエアコンを使うことはなかったと思う。部屋に閉じ込められた不自然な生活を強いられている。気晴らしは、パリオリンピック、オオタニ、そして間もなくすると甲子園の高校野球が始まる。

 京都の祇園祭りや東北の夏祭りとは比ぶべくもないが、小平市では8月3日(土)6:30∼8:30に、第19回「灯りまつり」が行われた。市内には祭礼の際に地口行灯を飾る風習があった。地口とは駄洒落のことで、たとえば「猫にこんばんわ」という駄洒落の元の言葉を考えてもらうのだ。市民の手づくりの行灯で夏の夜のひとときを幻想的な灯りに包まれてみませんかという趣向だ。

  

 小平には街をぐるりと囲むように21㎞の自慢のグリンロードがある。それに沿う14ヵ所の公園などに3000個以上の行灯が並ぶ。各会場ごとに異なる雰囲気が楽しめる。駄洒落行灯を見かけることはほとんどない。今年はある会場で武蔵美の学生が「昔噺」をテーマに参加したという。私は8時過ぎにほろ酔い気分で近くの中央公園の会場に出かけた。屋台の焼き物の香りが立ちこめ家族連れで賑わっていた。やはり祭りは若者たちのものだとふと思った。

 

 

 

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*ルソー

2024年08月01日 | 捨て猫の独り言

 暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うかを問う「暇と退屈の倫理学」はパスカル、スピノザ、ニーチェ、ハイデッガーなどの先人の教えを読み解きながら実に多くの分野に間口を広げてゆく。 暇と退屈の原理論に始まり、系譜学、経済史、疎外論、哲学、人間学、最終章が倫理学と展開する。

 通読して私の興味をひいたのは疎外論の章に登場するルソー(1712~1778)とポードリヤール(1929∼2007)である。ルソーについては文庫本の「エミール」を最近読み始めたものの、序盤で退屈して読むのを放棄したばかりだった。国分氏はルソーの自然状態論を疎外概念の起源だという。マルクスは疎外された労働を批判し労働日の短縮にもとずいた「自由の王国」を考えた。

 ルソーは文明人の惨めさを嘆き、自然人という純粋に理論的な像を作り出すことで、人間の本性に接近しようとした。そしてルソーは疎外されているから、本来の姿に戻らねばならないという過去への回帰願望ではなく、人間の本来的な姿を想定することなく人間の疎外状況を描いた。いわば「本来性なき疎外」という概念だと評価する。

 国分氏は「新版に寄せて」という一文の中で、再度ルソーに言及している。たしかにルソーの自然人は人間本性のある側面を描いている。だがその姿は我々の知っている具体的人間とは異なっている。人間は誰かと一緒にいたいと願っているが、バラバラに生きたいとも願っている。この矛盾を解消するためには人間の本性(ヒューマン・ネイチャー)の概念では答えられない。人間の運命(ヒューマン・フェイト)から考えねばならない。人間はその本性ではなく、運命に基づいて他者を求める。

 

 

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