武田泰淳の長編「森と湖のまつり」を読んだ。これといった理由はない。あるときぼんやり本棚を眺めていてまだ読んでなかったことに気づいただけのことである。武田泰淳は浄土宗の寺に生まれる。「中国文学研究会」の設立に参加、1937年華中戦線に送られるが2年後に除隊、1943年に「司馬遷」刊行、終戦時には上海に滞在していた。
日本に帰国して1947年に「蝮のすゑ」を発表、同年北大法文学部助教授として勤務、翌年「近代文学」の同人となり作家活動に専念するため退職し帰京。「森と湖」は連載の当初はこれほど長大なものになることを予想していなかったという。作者43歳から46歳までの成熟期にエネルギーを傾注した作品。北大時代に見聞したアイヌ民族への共感は深い。
泰淳は学生時代から書物を通じて親しんできた中国人の生活をじかに見聞している。三千年の歴史を有する5億の民が住む荒漠たる大地、そこには日本人とは比較にならぬ大善人も大悪人もおびただしく生れでている。泰淳は一般にニヒリストと言われているが、不思議と「森と湖」にはそのような雰囲気はない。
泰淳の上の前歯が二本ない写真を見た記憶がある。いくらすすめても歯槽膿漏を直そうとしなかった。「人間は本来、絶えず精神的な苦悩に直面しなければならぬ存在なのであるから、肉体の苦痛に対しても同じように耐えていなければならぬという一種の信念に近い考え方」があるからではないかと埴谷雄高は推察していた。