玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*再びの九州旅行②

2024年11月25日 | 捨て猫の独り言

 2日目の大分県の中津市と玖珠町にある山国川流域に広がる耶馬溪は、中国の山水画のような風景だろうと思い描いていた。60年も前に宮崎の高千穂峡を訪ねたことがある。それに比べると今回目にした耶馬渓はどこかインパクトに欠けた。紅葉の時期は、訪れる車で大渋滞が発生するという。耶馬渓の見せ場はこの短い期間だけだが、高千穂峡は年間通して人気を集めていると聞いた。

   

 昼食は日出町(ひじまち)にある的山荘だった。これは杵築市山香町の金鉱石の山を的てた富豪が建てた邸宅という。料亭として営業を始め、これまで皇族も食事に立ち寄ることがあったという。2010年に所有は日出町に移り、管理されるようになった。高崎山を築山に、別府湾を池に見立てた庭園を散策した。この散策で別府湾がより身近に感じられるようになった。

 昼食に時間がかかり宇佐神宮参拝が中止となる。旅程変更はめずらしいことだ。宿泊は別府市内の高台にある「杉乃井ホテル」だった。全国的に名の知られたホテルで、別府市民の間にも人気が高いという。ホテルの広い敷地に8つのコンテンツが終結し、巡回バスが走り回っていた。高台にあるので宙館4階の部屋からでも別府湾や市街が眼下に見渡せる。出歩かず、もっぱら宙館13階の展望露天風呂を利用した。

 入浴ではなく観覧を主な目的とした温泉は地獄と呼ばれ、別府観光の目玉の一つだ。最終日はホテルを10時に出発して「海地獄」を見学する。地獄はいろいろあるが最初に開設されたのが「海地獄」だという。4月のときはホテルが別府駅のすぐ近くで、展望は楽しめなかった。しかし今回は高台のホテル、それに「海地獄」も見学することができた。そこで私の中に「別府温泉」という一枚の絵が完成した。

 

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*喃語

2024年11月21日 | 捨て猫の独り言

 辞書には、喃語とは乳児が発するアーアーとかブブブというような繰り返し音。言語の習得に先立って生理的に発せられる音声とある。朝日新聞は11月19日の夕刊と翌日の朝刊で、谷川俊太郎さんの死去をどちらも一面トップで報じた。20日の朝刊には詩人の佐々木幹郎氏のつぎの寄稿文があった。

 「文化面に毎月一回掲載された〈どこからか言葉が〉と題した谷川さんの詩の欄は、谷川さんが13日に亡くなった後、17日に〈感謝〉と題した詩で締めくくられた。いつ書かれたのかわからないが、おそらく意識が遠のいていた時期に、側近の方が手配したのであろう。もし谷川さんが生きていたら、そういう死の直後の自分の詩の発表の仕方をおもいっきりからかったかもしれない」

 また佐々木氏は、谷川さんのつぎの言葉を紹介している。「人の年齢を私は樹木の年輪の喩で語るようにしているのですが、老齢にはその年齢の中心に向かう動きもあるようです。意味ある言葉とともに、喃語のような脳とともに身体から生じる言葉、意味よりも存在そのものに触れる言葉を今の私は夢みています」

 それと関連する谷川語録を拾ってみた。「何歳になっても子どもの視点で詩を書く。言葉上だけで子供になるってことはないんですよ。こどもの気持ちになるのとも違う。言語はもともと古い歴史を持っているでしょう。言語そのものが持つ古さって体が知っているんじゃないかと思っているんですよね」

 

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*再びの九州旅行①

2024年11月18日 | 捨て猫の独り言

 4月は個人で選択して九州旅行(4日間)に参加した。宿泊地は嬉野、雲仙、別府の温泉地だった。長崎の平和公園やグラバー邸、阿蘇の大観峰、柳川の北原白秋記念館などを初めて訪れた。今回の11月は年に一度の自由参加の会員旅行で、総勢40人での九州旅行(3日間)だ。宿泊地は博多と別府である。

 九州は空港が整備された地域だという。4月は羽田と佐賀空港の往復で、今回は行きは羽田から佐賀空港、帰りは大分空港から羽田だった。初日の午後から雨となり柳川では、頭からすっぽりと雨合羽を着用しての川下りとなった。4月は白秋記念館を選択して見学したので、これで柳川観光は完結したことになる。

  

 初日の宿泊ホテルは「グランドハイアット福岡」で、10階の窓から川の流れと、夕暮れのネオンが眺められた。ワインをたくさんいただいた夕食後は、隣接するショピングモールに出かけた。そこではイルミネーションや噴水ショーが行われていて、喧騒の世界が繰りひろげられていた。

   

 私は博多の街には、ほとんど馴染みがない。あとで調べると部屋から眼下に見えているのは中州那珂川通りである。近くには福岡国際センターがある。この日は大相撲九州場所が初日を迎えたところだった。博多駅も遠くはなさそうだ。浴室のシャワージェルはいい香りで、原産国はマレーシアと書かれていた。

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*美しく崇高な世界

2024年11月11日 | 捨て猫の独り言

 囲碁名人戦七番勝負の第6局で、挑戦者の一力遼棋聖(27)が芝野虎丸名人(24)に勝ち新名人となった。これで棋聖、名人、本因坊、天元の四冠である。一力は9月に世界メジャー棋戦で優勝したこともあって、名人戦を主催する朝日新聞も今回は報道に熱がこもった。

 また「異次元の数字愛」と題して、一力をつぎのように紹介している。4歳の時にはカレンダーを書き、幼稚園のお絵描きの時間には画用紙いっぱいに数字を書いた。現在でもたとえば「こだま731号」の表示を見ると、瞬時に17×43と素因数分解したりする癖がある。記者が生年月日を告げると数秒後に当日が何曜日かを即座に言い当てた、ということなど。

 そして張栩九段が印象的な談話を寄せている。「七冠や他の国際棋戦の優勝を期待する声もありますがこれ以上のことを求めるべきものかなという思いもあります。彼の言うメンタリティとは、とても広い範囲のものだと思います。美しく崇高な世界で尊いもののために戦っているんだという、人生観も含むような何か。今は自分は勝者にふさわしいんだと思えているように映ります。日本社会は彼をもっと誇りにし、彼にもっと憧れて欲しいと思います」

 枝のない渋柿をどうして吊すか。私が思いついた方法は、かろうじて残る「なり軸」の細い中心部に安全ピンを差し込むということだった。安全ピンもこんな使われ方をされるとは思ってもみなかっただろう。遠目にはいつもの吊るし柿だ。その後、近くに住む若き友人がこんな便利なものがあると持参してくれた。ステンレススチール製の「柿クリップ」という商品だ。交差した爪を押し開き、果肉に食いこませて爪の復元力でしっかり支えることができる。これだと、なり軸のないのっぺらぼうでも大丈夫だ。

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*バタフライガーデン

2024年11月07日 | 捨て猫の独り言

 自宅から東西南北にコースを定め2週間おきぐらいに歩き回っていたがいつのまにやら、その計画から遠ざかっていた。体重減少を遅らせようと、自室で始めた筋肉トレーニングも時おり思い出したようにやるだけだ。体育館のトレーニング室に出かけることを勧められているがどうもその気になれない。唯一続けているのはラジオ体操だけだ。継続は力なりというがなかなか難しい。

 秋晴れのある日、久しぶりに東へ2時間散歩に出かけた。登山靴をはいてリュックを背負って玉川上水の緑道を小金井公園を目指す。公園の直前で、予定を変更して格安スーパーに立ち寄り折り返すことにした。この遠出に少しの意味を持たせたくて、リュクに安く手に入れた1800mlの紙パック焼酎を入れた。

 玉川上水緑道を歩くとき、いつも思い浮かべるのは玉川上水を愛する鈴木忠司氏のことだ。私が出歩かないせいか最近お会いしてない。玉川上水の桜橋には西武多摩湖線の踏切がある。ここは鈴木氏が生まれ育った場所でもある。かつてここには桜堤駅とそのすぐ北に小平学園駅があったが、現在は廃止されてそれら2つの駅の中間地点に一橋学園駅ができている。

  

 鈴木さんが関わった自生野草保護観察ゾーンは、桜橋を起点に上流の小川水衛所までの五日市街道沿いにある。ここは手入れが追いつかない様子だ。鈴木さんがオープンギャラリーを終えたあとに企画したのが桜橋のバタフライガーデンだ。第1日曜日には有志がガーデンに集まるという。この日の散歩の往復の途中で目にしたバタフライガーデンはよく手入れされていた。それを見て鈴木さんが今でも元気で玉川上水を歩かれていることを確信した。

 

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*日々の中の変化

2024年11月04日 | 捨て猫の独り言

 ブログ「海鳴りの島から」が10月11日に再開された。そこには簡単な挨拶があった。「久しぶりに辺野古の抗議行動に参加したが、もと国語教師とて、この1ヶ月余のことを10字以内にまとめると以下の通り。『いろいろあった』  参考/清水義範(国語入試問題必勝法)」目取真俊氏の体調の問題ではなかったようで、これでひと安心である。無償の抗議活動では手弁当代を稼ぐ必要もあるだろう。

 カレンダーの季節になった。大安や仏滅といった概念は、古代中国の「六曜」という暦の考え方に基づいている。大安、仏滅のほか、友引、先負、先勝、赤口の六つの星のめぐりによって吉凶を占う。暦にはいまだに「六曜」が入ったものが多い。これは暦業者の販売戦略にすぎないようだ。仏滅は江戸時代には「物滅」で、物がなくなったり、物事がうまくいかなくなったりを表していた。いまやカレンダーは祝日・休日だけのシンプルなものや、それに二十四節気を加えたものなどが主流になりつつある。

  

 今年の柿の収穫は予想以上だった。葉がほとんど落ちても、まだ実をいくらか残している。そして空き家となった燐家には、小ぶりの2本の柿の木がある。一つは渋柿である。時おり親族が荒れた庭を整えに来る。その方たちは柿は食べないという。柿食わぬ人もいるものだと驚いた。許可を得た私どもは、去年から燐家の渋柿で干し柿づくりを始めた。

 今年もその渋柿をいただくことになり、勇んで取り込んだ。しばらくて、取り返しのつかないヘマをしたことに気づいた。吊るすためには、T字型に枝を残す必要がある。昨年はそれを実践したが、今回はすっかり忘れていて、すべて甘がきの場合と同じように枝を短くカットしてしまった。これでは引っ掛かりがなく吊るすことができない。その後、このことに私がどう対処したかは機会があれば報告したいと思う。

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