武蔵野美術大学の学園祭が24日(土)から3日間開催された。武蔵美の学園祭がなぜこれほどまでに人気があるのか、不思議なぐらいの人出だ。その初日に昨年に続き今年も出かけた。我家から徒歩10分だ。まずは12号館地下の学生食堂で腹ごしらえをする。必見は同じ地下にある大ホールの「五美術大学交流展」と、12号館の隣りにある大学美術館が企画する「著名な日本人・4人のポスター展」である。
横浜の戸部警察署の会計課の窓口に用事ができて、23日の金曜日に出かけることにした。一瞬に終わる用事だったので、この機会に半日かけて横浜散策しようと考えた。たいした下調べもせず地図も持たず、できるならば外国人墓地ぐらいは訪ねてみたいなという気分だった。関内駅で降りて歩き始める。開港場に設置された居留地は掘割で仕切られていて入口にある橋のたもとには関所があったので関内居留地と呼ばれていたという。市内のいたるところに案内板が整備されていて地図は不要だった。(写真はキング、氷川丸、港の見える丘公園、赤レンガ、クイーン、ジャック)
横浜スタジアムの横を通り日本大通りを行くと、神奈川県庁(キングの塔)に出る。外国人居留地と日本人街を区分する街路が日本大通りだ。山下公園は開放的な空間だ。ベンチがふんだんに並び、暖かい陽射しのもとで人々は海を眺めながらくつろいでいる。トイレやゴミ入れが多く、しかも絶えず巡回して清潔に保たれている様子だ。花壇の手入れに立ち働く人の姿が見える。「赤い靴はいてた女の子の像」の前では記念撮影をする人たちもいる。歩道橋を渡り、港の見える丘公園にたどり着くと、バラ園では写生会が行われていた。横浜にはあちこちによく手入れされたバラ園がある。バラは晩春から初夏に勢いよく咲く。
外国人墓地は立ち入ることができなかった。丘の北側に向って落ち込んだ斜面に墓地はあった。柵沿いに一回りして繁茂した木立とクモの巣越しに中の様子を窺う。墓地の近くのアメリカ山公園のベンチで軽食を取る。ここから見下ろせる横浜人形館の手前の、横浜合同庁舎の辺りにはヘボン式ローマ字の生みの親ヘボン博士の屋敷があったという。海の見える丘公園に引き返すとフランス山で「愛の母子像」に出会った。1977年に横浜米軍機が墜落し3才と1才の兄弟が死亡、皮膚移植手術をくりかえした母親は4年後に死亡したあの事件がよみがえった。そのあと山下臨港線プロムナードを横浜税関(クイーンの塔)を眺めながら赤レンガ公園まで歩き、横浜開港記念会館(ジャックの塔)のある馬車道通りを関内駅に戻った。