青春18切符が2日分残っていました。切符の効用は2つあるようです。旅に駆りたてる。より遠くに向かわせる。松本の美ヶ原温泉に1泊して松本市内見学だけでなく、黒部ダムまで足を延ばすことにしました。黒部ダムには大糸線の信濃大町で下車し、路線バスで40分ほどかけて扇沢まで行き、そこから関電トンネルトロリーバスに乗り換えて15分ほどで到着します。ダム建設の物資輸送のために信濃大町から掘り始めたトンネル工事が破砕帯にぶつかり、出水による難工事になったのは広く知られています。トロリーバスで往復する際にトンネル内では80mも続く破砕帯の現場を通過します。ダムは昭和38年に完成しました。
黒部ダム見学を終えて松本駅前のバスターミナルビルで夕食をとっていると大学生らしき細身の男2人が入ってきてざるそばを注文しました。食べ放題でお願いしますという声に私は耳をそばだてました。食堂のメニューにも何処にも食べ放題の文字は見当たりません。平静を装いつつ2人はよく喋りよく食べました。1人は鼻声にさえなりながら。さすがに蕎麦どころです。さて美ヶ原温泉は駅から25分の郊外にあります。温泉名が美ヶ原になったのは昭和30年代に入ってからでそれ以前は束の間の湯とか白糸の湯とか山の辺の湯とか呼ばれていました。湯けむりが立つわけでもなく硫黄の臭いがするわけでもないアルカリ性単純温泉の古くからのどちらかと言うと地味な温泉郷です。
折口信夫の歌碑の所在を宿の主人に聞きましたが要領を得ません。なにやら最近こちらに来たばかりと釈明してました。調べてもらうと 「すぎもと」 という旅館の中庭に釈超空(折口信夫)の歌碑があることが分かり、明朝見せてもらえるように電話しておいたとのことでした。翌日の早朝私は勝手に玄関の鍵を開けていつも通り散歩に出かけました。薬師堂を見つけ石段を登ります。途中に山門があり薄暗い格子の中に奇妙なものを発見しました。巨大な男性のシンボルが3つ4つ鎮座してます。チエックアウトの時に 「金宇館」 にも何やらあるらしいから見せてもらうように電話で頼んでおいたと親切です。その近くに姫薬師もあるといいます。
古い温泉街の中の旅館 「すぎもと」 にお邪魔してびっくりです。私が泊まった宿と格が違いました。そこで 「いにしえの つかのまの出で湯 ひなさびて 麦生にまじる 連翹の花」 の歌碑を見ることができました。つぎにお邪魔した 「金宇館」 も格式ある旅館です。そこのご主人が 「本でも出版するのですか」 と尋ねるので私は仰天しました。伝言ゲームで話がとんでもない方にそれることがあります。あれだなと思いました。この旅館には折口の礼状のはがき 「くずのはな ふみしだかれて いろあたらし この山道を ゆきし人あり」 ともう一首大きな額に折口の自筆の歌が保管されていました。それらが私のためにテーブルの上に並べられていました。
もう一方の姫薬師も当然お参りしました。毎年9月の第4土曜日つまり今年は9月26日に道祖神まつりが行われます。木彫りの男性シンボルのお神輿が姫薬師に輿入れするという奇祭です。折口は柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた国文学、国学の研究者です。この奇祭を見逃したはずはないだろうと考えました。私は4度目の松本訪問でやっと松本城公園を訪れることになりました。しかし天守閣には登らずにお堀の近くのベンチから松本城の全景をしばらく眺めていました。そして公園のほぼ入口のあたりに大きなネムノキが3本あることに気付きました。どうもこの夏はネムノキの存在に過剰に反応してしまうようです。