玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*気魄一閃の精神で

2023年07月31日 | 捨て猫の独り言

 名古屋場所の前の6月、立浪部屋の力士たちは明生(28)の故郷奄美大島の瀬戸内町を訪れている。大島海峡を挟んで加計呂麻島を望む風光明媚な場所だ。立浪親方や大関を目指す豊昇龍(24)や天空海などの力士たちは明生の故郷の海を眺めて何を思ったのだろうか。

 モンゴル出身の豊昇龍はその後の名古屋場所で優勝を果たして大関に昇進した。その伝達式で述べた口上は「気魄一閃の精神」。それは愚直に真っ直ぐ、力強く立ち向かってゆく精神力のこと。この言葉になぜか私は、地味な努力をこつこつ積み重ねる兄弟子の明正の姿を重ねていた。

  

 豊昇龍が立浪部屋入門のいきさつはつぎのようだ。叔父の横綱朝青龍の暴れん坊イメージから、角界入りの際はどこも敬遠したらしい。外国人力士は各部屋1人の狭き門、入門を許可したのが現役時代から朝青龍と親交があった立浪親方(元小結旭豊)だった。

 おもしろい見方をしている人がいる。叔父さんと違って豊昇龍はトラブルを起こすことはないだろう。なぜなら豊昇龍は兄弟子の明生には頭が上がらない。ちょっと甘い立浪親方よりも苦労人の明生の影響のほうが大きい。何より豊昇龍は性格が叔父さんよりおっとりしている。

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*稀有な隣人

2023年07月27日 | 捨て猫の独り言

 この地に住んでかれこれ50年近くになる。転勤で何度も引っ越しせざるを得ない人、意図して転居を繰り返す人にくらべてなんと変化のない退屈な生き方かと、われながらうんざりしないでもない。

 この地域で私はもはや古株である。そして、いつ知れず姿を見せない人の数も増えた。自宅での葬儀が執り行われることは皆無である。ある人の姿が消えても、生存か否かも知らされずに過ごす。(6月アジサイの頃)

   

 古い家が解体され新築の家に若い世代が引っ越してくる。ところが最初から近隣との触れ合いを避けようとする傾向が強い。向こう三軒両隣の日頃のちょっとした挨拶もなく、目を合わせることさえ避ける。地域社会の崩壊とはこのことなのだろう。

 そんな中で稀有な隣人が存在する。私より少し年輩の女性でいまは未婚の娘さんとの二人暮らし。隣近所のプランターに水やりをし、そればかりか我が家の玄関先の鉢に新しい花を植え替えたりなさる。よその家の前の道路を掃き清めることはしばしば。子育て中の家や我が家にときおり、食べ物や果物や菓子などを惜しげもなく差し入れる。物々交換すると倍返しだ。誰とでも分け隔てなく話すのでこの地域のほとんどの情報が彼女に集まる。触れ合いを避けたがる新住民たちに対する彼女の戸惑いあるいは失望はいかほどかと気にかかる。

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*薩摩武士の生きた町

2023年07月24日 | 捨て猫の独り言

 念のため「麓」をネットで調べてみた。平野と山・丘陵・高地との間の移行地帯とあるだけだ。そこで「薩摩藩の麓」で検索して薩摩藩独自の「外城(とじょう)制度」と分かった。文化庁が認定する「日本遺産」というのがあり、これまでに「木曽路はすべて山の中」「陽が沈む聖地出雲」「津和野今昔」などが日本遺産となっている。

 鹿児島では2019年(令和元年)に「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く」が「日本遺産」に認定されたという。今回の帰省で県が発行した30頁もある分厚いパンフレットを手にした。鹿児島城(鶴丸城)跡と喜入旧、知覧、加世田、入来、里、手打、出水、串木野、蒲生、垂水、志布志の11の麓が見事なカラー写真で紹介されている。

 そのパンフは「麓」についてつぎのように述べている。「薩摩藩は他藩に比べて武士の人数が多く藩の4分の1が武士でした。そのため本城である鹿児島城の近くに全ての武士を住まわせるのではなく、領地の中を小さく分け、武士を分散させて住まわせる独自の体制(外城制度)がとられていました。関ヶ原の戦いに敗れた薩摩藩は幕府や他藩への警戒心が強くなりました」

 

 知覧麓は有名だが、里麓と手打麓は鹿児島県人でも知る人は少ないだろう。どちらも甑島にある。本土の麓が道路を行き来する人々を監視するのに対し、甑島の麓は海路を行き来する人々が監視対象だった。海上交通の要衝、甑島の北の防衛拠点が里麓で南が手打麓である。上甑島の里麓は私も訪れたことがある。トンボロ(陸繋砂州)という独特の地形の上にある。カノコユリが咲いていた。

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*泣く子は育つ

2023年07月20日 | 捨て猫の独り言

 東京行きの飛行機がカナダのバンクーバー空港を飛び立とうとしていた。「こんにちわ、機内での暇つぶしにどうぞ!」と男性が小袋を配っていた。袋には金色の紙に包まれキャンディーと赤い耳栓。そして英文で書かれた小さな手紙が入っていた。

 「僕たちはリオとジョージ、2歳と生後8か月だよ。おじいちゃんとおばあちゃんに会いにいくんだ。飛行機はワクワクするけど緊張もしている。もしうるさすぎたら教えてね」手紙を配った夫婦はカナダ人のダニエルさん(38)と埼玉出身の女性(36)。カナダに移住前、日本の電車で子供の泣き声に舌打ちする乗客に出くわしたことがある。

  

 残念ながら日本は公園や幼稚園の子供の声がうるさいと排斥される社会になってきている。そのよう苦情を申し立てるのは高齢者が多いと聞く。子供の躾の問題よりも、まず高齢者の心のあり方を改善する必要があるように思う。少子高齢化が叫ばれて久しいが、明るい未来のためにもそのことが求められる。

 ことわざに「泣く子は育つ」とある。大声で泣く子は丈夫な証拠で元気に育つことを教えている。「赤子は泣き泣き育つ」「泣く子は利口」などは日本社会が健全であった頃の名残りだろうか。冒頭の新聞記事は小袋に入った手紙が機内の空気を柔らかにしたとある。しかしこのようなアイデアなしの子連れ旅ができる社会の方がいいに決まっている。

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*桜島は雲の中③

2023年07月17日 | 捨て猫の独り言

 山下小学校の校庭が真下に見下ろせるビルの14階に母は住んでいる。そこから30分もあれば城山の展望台広場まで行ける。今回は連日の悪天候で広場の朝のラジオ体操会に参加することができなかった。桜島フェリーとこの二つのことは悔やまれる。

  

 2日目の朝に薩摩藩主島津氏の菩提寺だった曹洞宗の大寺「福昌寺」に出かけた。傘を持参して徒歩である。途中福昌寺への道を聞いたが青年は知らないという。玉龍高校はどこか聞くべきだったとすぐ気づいた。明治の廃仏毀釈によって寺は破壊され宝物は失われたという。

  

 市立玉龍高校は校庭の石段を上がったところに校舎が建てられている。この石段はかつての福昌寺の石段だったはずである。その校舎の裏手に福昌寺の境内がかろうじて残されていた。その横の坂道を登ると、歴代住職の墓さらにその先にキリシタン墓地があった。

 福昌寺の日の午後は猛烈な雨に見舞われた。そして夕刻には雨が止むという不順な天候のくりかえしだ。鹿児島市内には弟と妹の家族が住んでいて帰鹿のたびにお世話になる。3日目は雨の中を弟の車で昨年亡くなった叔父宅を母と共に訪問することができた。しかし滞在中に桜島の雄姿を一度も見ることができなかったのはこれが初めてだった。(完)

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*桜島は雲の中②

2023年07月13日 | 捨て猫の独り言

 空港からのバスを鹿児島中央駅で降りる。降雨はなく雲が低く垂れこめて蒸し暑い。中央駅前にはまた一つ高層ビルが完成していた。まず甲突川河畔の大久保利通像に行き、高い台座にある像の右かかとの後ろに小さな「馬車夫と馬の像」を確認した。これは以前から気になっていたことだった。

 

 つぎは桜とクスノキで囲まれた川沿いの公園を通って西田橋のたもとの定食屋「田口」に立ち寄る。到着初日のここでの昼食が私の決まりごとになっている。以前と変わることなく老夫婦とその息子の三人で切り回していた。残念だが向こうは私のことを知らない。

 鹿児島での楽しみは銭湯(温泉)だ。いつもはフェリーで櫻島に渡り、そこの温泉につかるのだがこれは連日の悪天候で断念した。ところが不思議と夕刻どきには雨が上がり、歩いてすぐのところの「霧島温泉」には毎日通った。2日目の昼食はこれも定番、山下小学校の向かい「よしみ屋」にした。

 天文館に最近できた複合商業施設「センテラス天文館」の4、5階にある「市立・天文館図書館」を覗いて見た。繁華街のど真ん中に出現したこの図書館はこれからどう評価されるか興味深い。7階から14階まではビジネスホテルで平均料金11,550円だという。(写真の左端左奥のビルがセンテラス)

  

 

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*沖縄県知事の訪中

2023年07月10日 | 沖縄のこと

 沖縄県の玉城知事は7月4日、日本の経済団体と共に訪中した。国際貿易促進協議会の河野洋平元衆議院議長を団長とする知事や財界人ら77名の訪問団である。玉城知事は北京で李強首相らと会談し、琉球国墓地跡を訪問した後、6日には福建州福州市に移動した。

  

 地図を見ると福州市は台湾に最も近い大都市だ。玉城知事は地元幹部と会談し、経済交流などを促進する「福建・沖縄友好会館」などを訪れた。6月には習近平主席が「福州で働いた際、福州に琉球館や琉球墓があり琉球と深い交流があったことは知っている」と異例の「琉球」言及により今回の玉城知事の訪中が注目されることになった。

 この習主席の発言は玉城知事の訪中を強く意識したもので、沖縄と良い関係を作っておいて日本を牽制する思惑があるようだ。つまり日本が台湾問題に深く関わった場合には「沖縄の領有権を認めない」と主張する可能性があるというのだ。

 このことに関して玉城知事は、経済や観光などの分野で交流を促進し地域に平和な環境を作り出して行く「地域外交」の意義を強調した。また国の外交を補佐してゆく形での地域外交は外務省も認めているとも主張している。興味深いことに7月4日には台湾議長が与那国島に異例の訪問を行った。台湾東部から高速艇で約2時間で日本最西端の与那国島に到着したという。

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*桜島は雲の中①

2023年07月06日 | 捨て猫の独り言

 故郷の鹿児島に99歳を超えた母親がいる。3年前からは施設暮らしをやめて、長女(私の妹)と自宅での暮らしを始めた。ちょうど全世界がコロナに突入した頃だった。とっくに子育ての終わっている長女が単身千葉から鹿児島に来て親子二人の生活が始まった。

 そんな二人のもとへ長男である私は3年ぶりに4泊5日で帰省した。行きも帰りも早い便の飛行機を予約した。ずいぶんの無沙汰である。母はだいぶ弱っていると聞いていた。惜しいかな鹿児島の天候は滞在予定のすべての日が降水確率90%の予報だった。

  

 妹は60歳を過ぎて介護福祉士と社会福祉士の資格を取得した。週の3日は母親をデイケアに送り出したあと、自分は別の介護施設で働いている。仏壇へのお茶やり、ついでに声出しして10回つま先立ち、日にちと曜日の確認、薬の取り出しなどが妹の指示のもとに行われる。

 彼女の献身で明らかに母の寿命は延びた。母は室内の移動は手押し車を使うが、夜中にはそれを使って自分でトイレに行く。久しぶりに私の顔を見て、終戦間際の阿久根での疎開生活のことを毎晩繰り返し話した。昼間は寝ていることが多い。「凡事徹底平常心」今回妹が私に教えてくれた。

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*台湾の多様性

2023年07月03日 | 台湾のこと

 台湾の歴史は複雑だ。17世紀にはオランダが統治、つぎは清朝がそのつぎは大日本帝国が50年ほど植民地とし、戦後は大陸から渡ってきた国民党(漢人)の独裁体制だ。この独裁時代に米国に留学する人も多く、弾圧された台湾人が逃げ込む場所が米国だった。

 

 1980年代の民主化で台湾内部は大きく変わる。李登輝が初の民選総統に選ばれた96年以降は4年に1度、総統を直接選挙で選んでいる。投票のたびに自分は台湾を治める主人公、台湾人であるというアイデンティティが強化されているようだ。台湾の世論調査によると6割強が台湾人、3割強が台湾人であり中国人、残りが中国人と答えている。

 台湾は世界保健機構など国際社会から排除され国民国家である主権は制限されているが、政府と軍隊を持ち内部には主権が実在する。それに対して中国は民主的に運営される政治体であることについて自信を深めつつある台湾社会を許してはならないと思っている。その意味では「台湾有事」はずいぶん前から始まっている。

 来年1月の台湾総統選挙には世界的な関心が集まるだろう。私の注目するのは、2大政党の民進・国民両党とは別に、第3勢力の台湾民衆党の公認として立候補を表明している柯文哲・前台北市長(63)だ。「民進党は中国に拒まれて全く対話できず、国民党は中国に従順すぎて対中交流で台湾人の信頼を失っている」と主張している。

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