年会費を払っている会がある。その会が企画した「日帰り旅行」に参加した。立川から首都高を貸切バスで移動する。まず港区の増上寺で参詣し、中央区の「つきじ治作」で昼食、そして台東区の谷中銀座を散策するという日程である。どの場所も私が初めて訪ねる場所である。この地球上の生きものについて、知らないものが数かぎりなくあるように、東京についても私が知らないことは多い。
芝の増上寺は上野の寛永寺と並んで徳川家の菩提寺である。境内から眺めると東京タワーが背後にそびえ、プリンスホテルや慈恵医科大学病院が望める。秘仏「黒本尊阿弥陀如来」の安置された安国殿に上がり、正月初祈願貸切法要を受ける。堂内の徳川家康肖像と皇女和宮の立像が目に止まった。将軍家墓所には入場せず低い塀の外から爪先立って中を覗き込む。恵まれ過ぎた寺である。全国に寺の数は多いが、その格差は拡大するばかりだろうと考えた。
隅田川の下流右岸一帯は大川端と呼ばれ江戸時代の行楽地である。そんな場所にあった三菱の岩崎弥太郎の旧別邸にて、日本の割烹王と呼ばれた本多次作が昭和6年に創業したのが「つきじ治作」という。玄関を入ると左右に並んだ巨大な信楽焼の「びっくりどびん」や、巨大な石灯籠が迎えてくれる。後で知った会席料理の代金は12000円だった。ひととき大名気分を味わう。
「入り日入り日まっかな入り日 何か言え 一言言うて落ちて行けかし」と海辺で夕日に向って叫ぶシーンで始まる「永六輔のにっぽん夕焼け紀行」という番組を見たことがある。その中の一場面に「夕焼けだんだん」と呼ばれる石段が登場する。色紙に書いた種田山頭火の夕日の句を永六輔がいくつか紹介しながら日暮里駅の方から谷中銀座の方へ歩くと、そこに石段がある。思いがけずこの日の夕暮れ時に、私はその石段の上に立っていた。