玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*スポーツの判定

2016年09月26日 | 捨て猫の独り言

 障子のある部屋の開口部分にはタイマーで作動するシャッターがある。開く時刻はそのままにして、閉まる時刻の設定を変更した。冬至に向って日は短くなるばかりである。9月になって賞味期限の関係で半額になったスーパーの「おはぎ」に手が伸びることが何回か続いた。春の彼岸に作るものは牡丹餅、秋のものは萩餅といった。南の島の少年は牡丹を知らず、なぜ豚なのかと思っていた。(ホトトギスとアキアカネ)

 

 この夏の甲子園の高校野球のテレビ中継を見ていて審判の判定に納得しかねる経験をした。勝敗を左右する判定も時には起こり得る。審判の判定に抗議するべからずという教育が徹底しているかどうか知らない。高校野球では監督の指示で審判に「説明」を求めて引き下がることが多い。それでも、これはこれ現状通りでいいのだろうと私は考える。審判は尊敬せねばならない。(ハナミズキとムラサキシキブとウメモドキ)

 

 私が興味のあるMLBは近年「アウト」または「セーフ」の判定に納得いかない場合、失敗するまで何度でもビデオ判定に「チャレンジ」が可能である。私の見る限りチャレンジで判定が覆ることが多い。その昔、一塁でセーフの判定を受けたイチロー選手が「あれはアウトでした。でも、これまで逆のこともありましたから」と淡々と語っていたことを思い出す。

 テニスの4大大会の一つで錦織選手がチャレンジして、コンピュターグラフィックスで加工されたテニス球の軌跡の画面が写し出された。私はそれを見て新鮮な驚きを感じた。複数のハイスピードカメラを設置して映像を解析するという。サッカーでは「ゴール」と判定すると電波で主審の腕時計に通知されるシステムがすでに実用化されているという。開発したのは、英ベンチャー・ホークアイ社。11年にソニーの子会社になった。

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*サポート

2016年09月19日 | 捨て猫の独り言

 昨年から今年にかけて、湯沸かし器、風呂釜、ガステーブル、掃除機、電子レンジ、ホットプレートと立て続けに買い替えている。この家が建ったのは阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の1995年だった。あれから21年が経過して今回の買い替えラッシュである。その中の電子レンジは3代目という記憶がある。途中15年目には家の外装工事を行っている。

  

 辞書によるとルーターとは「複数のコンピューターネットワークを接続し、最適な経路を選択して情報を伝送する装置」とある。私が最初に聞いたルーターの説明は「 お弁当箱のようなもの」だった。 先月の末に電話が使用不能、パソコンはインターネットが繋がらない。ルーターの電源を切ってやり直すと回復した。しかし7年前に設置されたルーターはそのうち再び変調となる。

 不安定な状況が2日続いた後に機器は完全に機能しなくなった。機器も人間に似て、それなりの段階を経て終息を迎えるものかと妙に感心した。さてプロバイダーのサポートを受けるために電話をしたいがその電話自体が使用不能だ。海外旅行中である家人の携帯電話を急遽充電し、不慣れな手つきで電話をすると込みあっていますと長時間待たされた。

 やっと電話が繋がってルーターの初期化の指示があり試みたが不発に終わる。結局トラブル発生後の4日後に訪問サポートサービスがあり新しいルーターに交換してもらって解決した。その時の説明書には「ひかり電話対応ホームゲートウェイ」とあった。また故障修理内容内訳書には「ONU故障のため交換」とあり、ONUを調べたら「光ファイバーによる通信サービスの加入者宅に設置される接続装置」とあった。IT用語はなかなか身につかない。

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*キタキチョウ

2016年09月12日 | 玉川上水の四季

 萩は豊饒の秋のシンボルであり、万葉集で一番多く詠まれた植物で、和歌において萩は鹿と取り合わせることが好まれたという。その紅の花をつけた枝垂れた萩が風に揺れる様は風情がある。ところが庭の萩は早咲きのようで梅雨の頃から咲き始める。炎天下に萩の花だから多少の戸惑いがある。冬のうちにばっさり枝を剪定すると古株からは芽が盛んに吹き出る。(クズとタイサンボク)

 

 萩の花が咲き始めると黄色の蝶が飛んでくる。モンシロチョウよりはひとまわり小さく、いつもせわしなく飛び回る。これがキタキチョウである。生き字引である鈴木さんによると、萩はキタキチョウの食草であり、吸蜜植物でもあるため常に姿を見ることができるという。他の蝶は庭に飛来してもすぐに姿を消すが、キタキチョウは萩のまわりをいつまでも飛び回っている。(異なる2地点の撤去と新設)

 

 鈴木さんは「キタキチョウは年に4回は世代交代があり、10月に羽化した成虫が冬を越す。庭に萩を植え、近くにアベリアと菊を植えて春に菜の花を咲かせれば、一年を通してキタキチョウが庭で世代交代をしながら舞う姿を楽しめる」と勧める。なんと庭にはそのすべてが揃っている。現在アベリアが咲いている。毎年春には冬野菜の菜の花がかおる。冬の菊の代わりるものとしてツワブキの花がある。

 身近なこの庭がキタキチョウの棲息に適していることをこれまで意識していなかった。卵は萩の若葉や新芽に一個ずつ丁寧に産み付けられる。大きさは1ミリほどで乳白色だという。庭でキタキチョウの卵を見つけることができたら私も少しは進歩したことになる。調べてみると南西諸島に分布するキチョウ(ミナミキチョウ)と本州のキタキチョウの2種に分かれるが外見による識別は困難とあった。

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*方言

2016年09月05日 | 捨て猫の独り言

 「まれまれ な(汝)きゃうが(拝)で なま(今)な(汝)きゃうが(拝)むば にゃいちごろ(何時頃)うが(拝)むかい」これは奄美の島唄である。私はそこに居ながら奄美の方言とは切り離されて暮らしていた。土の匂いのする方言に代わって、学校はもとより家でも標準語を使っていた。そのあと6年近く思春期を鹿児島市で暮らすが鹿児島弁の「ひでかしたが ほら、あらいよ~、あさくる」などを聞いて理解できても、自分で使うことはなかった。簡単な鹿児島弁を少し話す程度で終わった。

 そのあと主に京都弁たまに大阪弁に囲まれながら7年ほど過ごした。短期間でしかも学生という身分には京都弁や大阪弁が身につくことは不可能だ。そして東京に流れ着いてかれこれ45年になる。関東に来てからは方言を意識することが少なくなった。「停車場の人ごみの中にそを聞きに行く」こともなかった。才能がない私は方言というものからいつでも遠いところにいた。(愛用の鉄棒)

 

 故郷とは何だろう。その土地とその土地につながる方言の、つまり「自然」と「言葉」の両者が「心のよりどころ」となるのが故郷ではないか。つい感傷的に なってしまうのが悪い癖なのだが、私には身についた方言と言えるものがない。しかし土着へのあこがれが消えることはない。だが人生をやり直すことはできない。想像するにいわゆる転勤族の家庭で育つ人の中には、私と同じ思いをもつ人は多いのではないか。

 地方から都市への集中に私が加担して45年が過ぎ、退職してようやく身の周りの自然に目を向けることができるようになった。そしてこの都市を私の第二の故郷だと思い始めている。しかしその都市は現在でも宅地開発が進み緑が減少しつつある。また方言を排斥することは弊害が多いことは広く認識されるようになった。方言にあこがれる私は方言の中でも特に京都弁と大阪弁には、これからも元気であって欲しいと願う。

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