◆クスコの古布店
◆オリャンタイ・タンボ駅/ 電車が止まると土産売りが押し寄せる
◆チチカカ湖畔の町・プーノの市場/一坪ショップが並ぶ、さすがアルパカの生息地、セーター、ポンチョ、すべてナチュラルカラーのアルパカ毛
◆チチカカ湖畔の町・プーノの市場の一坪ショップ
にこやかな笑顔で客を呼び込む
にこやかな笑顔で客を呼び込む
◆標高4000m、チチカカ湖内のタキーレ島では今でも繊細な仕事が伝承されている
(上段は編み物、下段は織物)
2007年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 44号に掲載した記事を改めて下記します。
「古代アンデスの染織と文化」-アンデス雑話- 上野 八重子
毎年2月下旬、東京テキスタイルのギャラリーでは「アンデス・ナスカの染織展」と題したグループ展が開かれています。アンデスクラスでの基礎をベースに、それぞれに興味を持つ技法を持ち込んでの作品展です。数多くの技法の中から「この技法が好き!」と一つの技法を追求する人、「あれもこれも捨てがたい」と毎年違う技法にトライする人、等々様々ですが、各々が自分の作品パターンの中に技法を融合させていて「あ~、こういうのも有りかっ!」とお互いに刺激されています。
又、会期中、来場下さった方から「異国の物創り秘話」を伺える事もあり、とかくアンデスだけに囚われがちな私の心に新鮮な刺激を与えてもらっています。その中のいくつかをお話ししてみましょう。
◆ストレス解消織りorアンデス土産
国名の記憶が定かではなくアジア、中近東(?)の国だったと思うのですが、女性が家の外に出る事を許されてなかった時代、彼女達は常に抑圧され、かなりのストレスをかかえ、そのはけ口として「これでもか、これでもか!」と黙々と緻密な織物を織り、そのことで自分の中にあるストレスを発散させていたとの事。しかし、女性も自由に外を歩けるようになった近年では、ストレス解消の手段であった緻密な織物はもう彼女たちには必要ではなく、故に織り地は粗くなり、今ではかつてのような織りをする人がいないという事です。言い換えれば織れる人がいないという事なのでしょうか。わかる気がしませんか!
事情が少々違いますが、アンデスでも同じような現象が起きています。
通常、私達が美術展で目にする古代染織品はインカ滅亡以前(500年~数千年前)に作られたものが殆どで、どの技法をとっても舌を巻く繊細さです。
よく「今も作っているのですか?」と聞かれるのですが、実際のところ現在の染織品は?と言うと古代とは比べものにならぬ程粗くなっています。織りに使われている糸を比べると髪の毛や縫い糸程の細さから中細毛糸の太さへと変わっている…と言っても過言ではないでしょう。
何故なのでしょう?先程の“ストレス解消織り”に見られる通り、時代の移り変わりによって染織技術も大きく左右されるように思われるのです。特にアンデスは近年、人気観光スポットとして世界中から観光客が押し寄せてきています。観光地の付きものとして土産品がありますが、これがくせ者なのです。
技法などわからない観光客はアンデスらしい色柄物を手に取ります。売る側も「織り地の良し悪しよりも色や模様で売れ筋が決まるな…」とわかってくると人間の心理として、「時間をかけて織る事ないや~っ、早く織って沢山作ろう!」となるのは当然の成り行きではないでしょうか。手軽な外国土産として扱われる品には織り手としてのプライドも責任もなく、ただ、貴重な現金収入を多く得る手段としての比重の方が重くなるでしょう。
そうした“早く作れる物作り”を責めているのではなく、時の流れとして仕方のない事だと思うのですが、それが古き良き技法が失われていくのと同時進行だと言う事、その一端を観光客の一人として私も担っている事を思うと考えさせられるのです。
日本も含め世界各国で言える事は、昔の物作りは売る為ではなく王への献上品、家族、自分の装着品として時間をかけて丹念に、そして自己表現の場として自信と責任をも含めて作られていたように思われるのです。“ストレス解消織り”も“アンデス土産品”にしても失ってしまった技法は取り戻す事は不可能に近いのでは無いでしょうか。
◆コチニールの大移動作戦
もう一つの面白い話です。
連載Ⅱ-⑤でお話しした天然染料・コチニール、
今でこそ草木染めの世界では知らない人はいない程の代表染料ですが…もちろん、虫(貝殻虫の一種)だと言う事もご存じかと思います。
アンデスでは紀元前から使われていた染料ですが、南米侵略後ヨーロッパ人が初めて見た乾燥コチニールは草の種、木の実、虫?と大いに騒がれたのだそうです。確かに私達は初めから虫と知って見ている訳ですから何の不思議も無い訳ですが、初めて見たら種と思うのもうなずけます。
1500年前半にメキシコからヨーロッパに運ばれ、軍服やフランスのゴブラン織りなどの絨毯に多く使われています。日本にも南蛮貿易によってもたらされ「しょうじょう緋」と呼ばれる赤い羅紗や糸を染め武将の陣羽織などに仕立てられました。
原産国は中南米の砂漠地域と言われていますが現在ではアフリカ西岸沖のカナリヤ諸島に移植したものが良質のものを産出していると言うことです。
どうして移植することになったのでしょう。18世紀になってスペイン領メキシコに独立の気運が高まり、スペイン人が利益源であるコチニールを移植させる事を考え、メキシコからアフリカまで運ぶ事に…今なら飛行機でひとっ飛びですが時は18世紀、当時は船で、それも帆船ですからどのくらいかけて渡ったのでしょうか?コチニールの食べ物であるサボテンも一緒に運ばなければなりません。エアコンもない船で赤道直下の海を渡るにはどんな工夫をしていたのでしょう?何度も失敗してやっとアフリカに着いて…ところがそんなに貴重なものだと知らない人がゴミとして捨ててしまったのだそうです。
今回はアンデスの雑学を記してみました。次回からは又、技法を紐解いてみたいと思います。 つづく