1996年9月25日発行のART&CRAFT FORUM 5号に掲載した記事を改めて下記します。
当研究所の夏期講座で「紙糸」や「拓紙」を取り上げるようになって四年目となった。私白身正直なところ「何故紙糸を作るようになったか」についての明確な動機が思い当たらない。多分原始布の展示の中で生成りの紙布を見たとき「染めたらどうなるだろう」と思った程度のことだったろう。何となく始めた作業が、どんどん深みにはまり、疑問と失敗に押しつぶされながら、気が付いたらもう五年以上が経っていた。この間、材料と技法、さらに考え方等の迷いは大きく、本紙上「作り手と使い手」及び「作り手と使い手(2)」でその一端を書かせて頂いた。
まず最初の課題は糸にできる和紙を見つけることだった。試作と情報収集と試行錯誤でほとんどの年月を費やしたが、高い品質と安定した供給が得られる目処がついて、この問題は一応の解決をみた。次は良い糸を作る技術の習得だったが、これも長い間の遠廻りを重ねた末に、やっと最近になって「こうだったのか」という方法に辿り着いた。この長い道のりで得た手のひらの感触は夏期講座の実習の中で「ね、ここが勝負どころですよ」などと懸命に説明してみたが、やはり各自が自分で納得するまでやってみる外に方法はない。
これで生成りの紙糸を作るという課題は不充分ながらも一応良しとして、では欲しい色や欲しい景色の糸に染めるにはどうするのか、という問題が当然出て来る。染料は、やはり天然染料でなくてはならない。紙の状態で刷毛引きをして染める、あるいは浸し染にする。これも工夫が必要である。糸にしてから浸し染にするのは木綿や絹とは扱いが違う。藍や茜のように扱いの難しい染料の場合や色移りするもの、鉄媒染をした時の後処理の問題等、やってみれば次々と難問が待っている。紙糸が作れる程の和紙でも、この染めの段階で進まなくなることがある。織ってしまえば、あるいは編んでしまえば洗濯機で洗っても充分耐えられる紙布だが、楮100%で名人の仕事による手漉き和紙でも、糸又はそれに準じる状態では、難しい染めにはいろいろな工夫をしなければならない。私の持ち技では、まだ充分と云えるところまで至っていない。
ところで底深いこの迷い列車に乗り込んで、その行き先を考えるとき、一応糸が作れて、染めもまあまあのところまで仕上ったとし? 目的は着物を織ることかと云えば、必ずしもそうではない。試行錯誤の途中で工夫を重ねれば、それだけいろいろな展開や可能性が考えられるようになる。目指すものは「これ等の紙糸で作ったものと、共に暮らす心地良さ」にある。そろそろ形あるものにしたいと準備を始めている。
当研究所の夏期講座で「紙糸」や「拓紙」を取り上げるようになって四年目となった。私白身正直なところ「何故紙糸を作るようになったか」についての明確な動機が思い当たらない。多分原始布の展示の中で生成りの紙布を見たとき「染めたらどうなるだろう」と思った程度のことだったろう。何となく始めた作業が、どんどん深みにはまり、疑問と失敗に押しつぶされながら、気が付いたらもう五年以上が経っていた。この間、材料と技法、さらに考え方等の迷いは大きく、本紙上「作り手と使い手」及び「作り手と使い手(2)」でその一端を書かせて頂いた。
まず最初の課題は糸にできる和紙を見つけることだった。試作と情報収集と試行錯誤でほとんどの年月を費やしたが、高い品質と安定した供給が得られる目処がついて、この問題は一応の解決をみた。次は良い糸を作る技術の習得だったが、これも長い間の遠廻りを重ねた末に、やっと最近になって「こうだったのか」という方法に辿り着いた。この長い道のりで得た手のひらの感触は夏期講座の実習の中で「ね、ここが勝負どころですよ」などと懸命に説明してみたが、やはり各自が自分で納得するまでやってみる外に方法はない。
これで生成りの紙糸を作るという課題は不充分ながらも一応良しとして、では欲しい色や欲しい景色の糸に染めるにはどうするのか、という問題が当然出て来る。染料は、やはり天然染料でなくてはならない。紙の状態で刷毛引きをして染める、あるいは浸し染にする。これも工夫が必要である。糸にしてから浸し染にするのは木綿や絹とは扱いが違う。藍や茜のように扱いの難しい染料の場合や色移りするもの、鉄媒染をした時の後処理の問題等、やってみれば次々と難問が待っている。紙糸が作れる程の和紙でも、この染めの段階で進まなくなることがある。織ってしまえば、あるいは編んでしまえば洗濯機で洗っても充分耐えられる紙布だが、楮100%で名人の仕事による手漉き和紙でも、糸又はそれに準じる状態では、難しい染めにはいろいろな工夫をしなければならない。私の持ち技では、まだ充分と云えるところまで至っていない。
ところで底深いこの迷い列車に乗り込んで、その行き先を考えるとき、一応糸が作れて、染めもまあまあのところまで仕上ったとし? 目的は着物を織ることかと云えば、必ずしもそうではない。試行錯誤の途中で工夫を重ねれば、それだけいろいろな展開や可能性が考えられるようになる。目指すものは「これ等の紙糸で作ったものと、共に暮らす心地良さ」にある。そろそろ形あるものにしたいと準備を始めている。