ART&CRAFT forum

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「闇色の眼」 榛葉莟子

2016-01-23 10:06:51 | 榛葉莟子
1997年3月20日発行のART&CRAFT FORUM 7号に掲載した記事を改めて下記します。

 春一番の強風のなか、風をよけようと横町に曲がった。シャッターの降りている店と店との間の隙間に、猫がサッと走り込んだ。猫も風よけだ。こんな日は、八ケ岳は吹雪いてるだろうなあと、ふと思ったら、猫のこと、犬のこと、鶏のこと、あいらしい顔や声やしぐさが頭をかすめた。
 犬、猫、鶏などと、 一緒に生活できる環境であった頃、そういえば、もうひとつの生き物が、身近にいた。それは、冬になるとどこからともなくチョロリとやってくる。はじめて、それに気がついた時、あまりの小ささ、可愛らしさに、ひめいをあげる前に、かわいいという感情が先にたったブローチのようなねずみ。図鑑を開いてみる。ヤマネだろうか、ヤマネズミだろうか。いまも、はっきりしないが、ヤマネは冬眠するというから、ストーブの季節にやってくるブローチねずみはヤマネズミかもしれない。栗色の毛なみ、くりくりとした丸い眼、ほそくながいしっぽ。お皿に残っている猫の食べ残しがお目当てらしく、猫の留守を見計らっては、どこからともなくチョロリとやってくる可愛らしい冬の夜の訪間者だった。カリカリと、なにかを噛っている音が続く。秋ぐちに収穫しておいたくるみをみつけたのだろうと、そおっと、懐中電灯で音のあたりをのぞくと、いる。からだには大きすぎる程のくるみを両手で支え、さも、うれしそうにカリカリやっている。人の気配に逃げるでもない、このブローチねずみの冬の夜の訪間をいつしか待っているようになっていた。
 ところが、ねずみはねずみでも、天井裏で毎晩、運動会を繰り広げているねずみもいた。猫には見向きもしない、天井裏の先住者ではあるが、真夜中の騒々しさには閉口した。こらっと、天井をつつくと、しーんとなる。が、しーんはつかのまの静寂。とうとう、ある夜、ねずみとりを仕掛けることになった。
 ねずみとりを仕掛けるという事の目的は、ねずみを捕まえることであり、その後のねずみの運命は誰もが想像するそれであり、それ以外のねずみとりを仕掛ける理由は見当たらない。金網の上部から内側に向かって突き出た釣針状の針金の先に、ねずみの好みそうな食べ物の一片を突き刺し、その臭いに魅かれたねずみが、その空間に踏みいり、食べ物にほんのちょつとでも触れた瞬間、バネ仕掛けが働きバチャ。入り口は閉じられ、ねずみは出るにでられぬ囚われの身となる。
 真夜中である。さっきから誰かに呼ばれているような気がしてならなかった。呼ばれる声に起こされ眼をあける。うとうとしては眼がさめる。カーテンのあわせめから漏れているひとすじの月あかりが、生き物のように額にはいあがってくるこそばゆさがあつた。…さん、…さん、ああ、やっぱり誰かが呼んでいる。声は台所の方からか。わたしは、のこのこ起き出して、手さぐりで台所に行き電気のスイッチをひねった。突然明るくなった板の間の隅からガサッと音がした。仕掛けたねずみとりのなかにねずみがいた。ああ、かかったんだと、わたしは口のなかで言いながら、誰かが呼んでるだなんて夢でもみていたのだろう、バネの閉まる音だったんだと、電気を消そうとした時だった。
 …さん、と声がした。どきっとして声の方をみた。ねずみとりのなかから、じいっと見上げているねずみの眼と合う。呼んだ?と、わたしは言っていた。ねずみは、うなずいた。わたしは、しゃがむとねずみとりの金網に、顔を近ずけまじまじとねずみをながめた。びっしりと短い褐色の毛でおおわれた全身はつややかで、小刻みに震えているではないか。闇色の大きな丸い眼は濡れてひかっている。その濡れた眼が、じっとわたしをみている。闇色の眼とわたしの眼があわさるようにとまった瞬間だった。金網がゆがみ、ぐにゃりと変形しはじめ、床にくずれ、溶けた飴のようにとろとろと、流れていく。なにかちいさい声がして気がつけば、戸の開いたからっぽのねずみとりがぽつんと、床にあり、煮干しがひとつころがっている。ねずみはすでにいない。
 灯りを消し、手さぐりでベッドのなかに戻った。コトリともせず黙っている天井を見上げる。深い闇色の向うの存在を想う。
 パタンと音がして、ニャッと、耳もとで猫がないた。ゴロゴロと、のどをころがす柔らかな生命をふところに抱きしめ目を閉じる。  


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