・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

先立つもの

2010年05月03日 | Weblog
樹が歩道に立っているのではない。
樹のあったところに歩道ができてしまったのだ。

ボクは先住、先立ちと言ったほうがよいか。
だから、足元を踏んづけられても、水が涸れそうになっても、とにかくがんばる。

面子

2010年04月30日 | Weblog
面子とは、恥をかかないこと、恥をかくのを嫌うことらしい。
面子を保つのに最も効果のある方法は、善悪正邪の基準を融通無碍に制御すること。
他人の迷惑には平然と構え、悪い、駄目だと言われないことが大陸に住む大人(タイジン)の条件とみた。

ぐい呑みと盃

2010年04月25日 | Weblog
ぐい呑みと盃、どちらも日本酒を呑むときに使うものだが、どう違うのか。
酒をぐいぐい呑むのがぐい呑みで、静かに飲むのが盃と言えば感じは出ているかもしれない。

ぐい呑みは、猪口より大きく湯飲みより小さい酒器で(はてなキーワード)大きさから見当をつけよという説もある。
そう、ぐい呑みと盃のほかに、猪口という呼び方も忘れてはならなかった。
だがそば猪口というのもあるから、猪口は酒を呑む器に限らず、口が広く底のすぼんだ形の小さめの器と言ってよいだろう。

では、盃はどういうものか。
盃には、底のほうに小さな円い輪(高台:こうだい)が付いている(ウィキペディア)という。
そうか、高台のないのがぐい呑みで、高台があるのが盃か。

あるとき、会合までの時間調整に、デパートの食器売り場に行ってみると、やきものの展示会をやっていた。
ぐい呑みと盃を見かけ、違いをたずねてみると、盃は「さかずき」でなく「はい」と呼ぶものらしい。これを「さかずき」と読むと、交わす、受ける、水さかずきなどと、人と人との関係が絡んだ言葉になるからか。
並べられている酒器には一品一品呼び名と作者の名が書かれている。
中にこういうのもあった。上の写真で、右側の平らなものが「ぐい呑み」、左側の深型のものが「盃」となっていたのだ。

係りの人と問答を交わすうちに、結論が見えてきた。
ぐい呑みと盃の区別は、作者がぐい呑みと呼べばぐい呑みで、盃と呼べば盃なのである。

配達料

2010年04月20日 | Weblog
マンション管理費の予算内訳に「郵便・配達料」というのがあった。
ここに来た郵便は、玄関に並んでいる戸別の郵便受けに入れられ、そこから自分で受け取っているので、配達はしてもらっていない。
「配達料と書いてあるのは何ですか」と聞いたら、「郵便を出すときの費用です」という。
配達は、着信局からあて先に配られ届けられるまでの仕事のことと思っていたので、どうもすっきりしない。
ことばは想像を超えた急激な変わり方をするので、何か意味があって配達料という用語を使わせるようになったのか。それを知らなかっただけなのか。そんなことも考える。
何かの意味とは、郵便サービスのなかで配達業務のことを強調したいという意図を浸透させようとする手段ではないのか、そんな下衆のかんぐりなのだが。

Webで確かめてみた。
日本郵便のHPから「配達料」検索したところ、「入力された検索キーワードではヒットしませんでした」というメッセージ。

やはりあれは「郵便料金」と書かれていればよかったのだ。

火山灰

2010年04月19日 | Weblog
火口を遠巻きに散布して火山灰を液化・浄水しきれいな雨に変える。
火星に行くよりこのほうが世のためになりそうだが、威力開示が短期で終わってしまうことには、NASAも手を出さないだろう。