お祭りの世話役の人が、相談会で「ぎょうとうはこことここに」などと「ぎょうとう」を連発していたという話を聞いた。
意味がわからないときは文字を想像すると思い当たることもある。
そこから「ぎょうとう」とは行灯であるとわかったという。
あんどんを「行灯」と書くのは当て字ではないのか、とまず思う。
藤堂漢和で確かめると、「行」には「アン」という漢音もあった。
「行灯」は「アンドン」または「アントウ」と読み、「ギョウトウ」という読み方はない。
行灯と書くなら、それは灯火の行列で、ずらっと並べるものかと思ったら、そうではなく「もち運びできるあかり」だった。
当て字かと思えばそうではなく、行列灯火の想像も見当違いで、まったくの当てはずれ、当て読みだったのである。
意味がわからないときは文字を想像すると思い当たることもある。
そこから「ぎょうとう」とは行灯であるとわかったという。
あんどんを「行灯」と書くのは当て字ではないのか、とまず思う。
藤堂漢和で確かめると、「行」には「アン」という漢音もあった。
「行灯」は「アンドン」または「アントウ」と読み、「ギョウトウ」という読み方はない。
行灯と書くなら、それは灯火の行列で、ずらっと並べるものかと思ったら、そうではなく「もち運びできるあかり」だった。
当て字かと思えばそうではなく、行列灯火の想像も見当違いで、まったくの当てはずれ、当て読みだったのである。