騒擾も、騒乱も、「騒ぎ乱れること」と辞典にはある。
では「騒ぎ乱すこと」は何と言うのだろうか。
騒乱罪という法律上の罪がある。1995年の法改正前は騒擾罪と名づけられていた。
なぜ擾から乱に変えたのか。擾が優に似ているからか。
まあ文字から受ける感じは、騒乱のほうが手におえない様子が眼に浮かびやすい。
どちらにしても「騒ぎ乱した」ことを問う罪であって、「騒ぎ乱れた」罪ではない。
騒乱罪は暴行・脅迫が多衆の共同意思に基づいたものである場合に成立するらしい。
共同意志が決め手のようだが、それはこの法律を適用するかどうかの問題だけで、迷惑するのは共同意志があろうとなかろうと関係ない。
法律屋さんの仕事はおかしなもので、被害の受け方よりも害の与え方を問題にする。
被害を防いで暮らしやすくすることよりも、害の与え方に応じて加害/被害の関係をどう裁くか、どの法律を当てはめるか、メニュー選びに重点が置かれているように傍目には映る。
騒擾も擾乱も、ドサクサを起こして何かを得ようとすることだから、メニューを眺めてぐずぐずしているうちに、始末におえない度合いがどんどん強まっていく。
早く芽を出せカキのタネ、早く手を打てガキのクセ。
では「騒ぎ乱すこと」は何と言うのだろうか。
騒乱罪という法律上の罪がある。1995年の法改正前は騒擾罪と名づけられていた。
なぜ擾から乱に変えたのか。擾が優に似ているからか。
まあ文字から受ける感じは、騒乱のほうが手におえない様子が眼に浮かびやすい。
どちらにしても「騒ぎ乱した」ことを問う罪であって、「騒ぎ乱れた」罪ではない。
騒乱罪は暴行・脅迫が多衆の共同意思に基づいたものである場合に成立するらしい。
共同意志が決め手のようだが、それはこの法律を適用するかどうかの問題だけで、迷惑するのは共同意志があろうとなかろうと関係ない。
法律屋さんの仕事はおかしなもので、被害の受け方よりも害の与え方を問題にする。
被害を防いで暮らしやすくすることよりも、害の与え方に応じて加害/被害の関係をどう裁くか、どの法律を当てはめるか、メニュー選びに重点が置かれているように傍目には映る。
騒擾も擾乱も、ドサクサを起こして何かを得ようとすることだから、メニューを眺めてぐずぐずしているうちに、始末におえない度合いがどんどん強まっていく。
早く芽を出せカキのタネ、早く手を打てガキのクセ。