こうだこうだと、人より先に言う、駅の階段を素早く駆け降りて改札口を一番に出るような中学生なみの楽しみ方があります。
オリンピックの開会式は、こういう段取りでこんなことが行われると、得意げに伝えるラジオニュースがありました。
どうだわが社の取材力はと、ニュース記者の鼻の穴の広がりが目に見えるようですが、おかげで開会式の感動が薄められていることに気づいてないのでしょうか。
思ってもみなかったことが、目の前に繰り広げられるのと、わかっていることがどれほどうまくやれるかどうか見ているだけのこととでは、感動の質も濃淡もまったく違います。
ニュースの価値は、だいじなことを間違いなく伝えるところにあります。
知らせなくてもよいことを早くつかんで抜いたつもり、そんなことを続けているようでは、愚だもの売りの天秤を肩から下ろす日はなかなか来ないでしょう。