自国の民度は、高いほうがよいか低いほうがよいかと尋ねれば、その判定に特別な意図を持たない限り高いほうがよいと答えるでしょう。
特別な意図とは、例えばトナリのあのオジサンの支配志向のように、命令一下、あり得ない状態を作る力を示したいということです。
罹病ゼロ%まで定時に状態を完成させる離れ業は、低民度のもとでなければ見せることができません。
日本よりもっとその国に近く、さほど広くない海峡で対峙している高民度の国があります。
そこでは作った数値で表現された仮想状態でなく、実際に低罹病率が維持されています。
この高民度がどうして育てられたのか、それはやはり相応の緊張度と、鑑となる人の異端への対決姿勢でしょう。
民度は人の心の集合態ですから、危険にも常にノホホンと無感覚で、ユルユルと悠々の区別をつかなくしておけば、民度は下降傾向を維持したままになります。
当座のこと、自分が生きている間のことしか考えない人が、国家政治の座、行政の中央の座、企業経営の座にしがみついている限り、民度つまり集団能力が上昇傾向に転ずる日は永久に来ません。
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