気づかなかった、忘れた、まあ仕方がないか。
ひとが許してくれれば、自分もわが身のしくじりを大目に見る。
ゆったりと、おおらかに、お互いによい気分です。
誰も嫌な気分よりよい気分を好みますから、何かにつけてその習慣が行きわたり、土地柄になり、国柄もできあがっています。
こうしようと、議会で決めるのではありません。
ゆるいお国柄は、何も起こらないうちはまことによいのですが、することなすことだんだんゆるくなってきて、あれ、これでいいのかと気づいても、黙ってそのままにしておくのが普通のやり方になります。
高速道路のトンネル隔壁落下は、アンカーを5cmしか埋め込んでなかったのが原因と聞きました。
行為も結果も、ゆるさ十分の不誠工事だったそうです。
接着剤というものは、固形化して十分な強さになるまで時間がかかります。
速乾でも、瞬間接着でも、時間がゼロではありません。
接着の相対位置が決まって固形化するまでは、ゆるい状態ではだめなのです。
もう耳たこから遠のきましたが、あの「しっかりと」の言葉どおり、ゆるぎなく止まっていなければ接着は不完全になります。
天井に穴を開け、接着剤とアンカーを埋め込んで固定するとき、どういう方法を取ったのかは明らかにされていませんが、しばらく抑えていて動かなくなったら手を離してよい、そんなゆるい方法で施工されていたとしたら、抜け落ちるのはあたりまえです。
もしそうであれば、工事をする人は、これでいいのかなと思ったに違いありません。
埋め込みから固形化まで、いくら急いでも24時間ぐらいはアンカーがゆるい蠕動を起こさないように固定してあったのかどうか。
そこでゆるさを許さない施工設計がされていたのかどうか。
気づかなかったという言葉は、技術屋の口からはなかなか出にくい言葉です。
気づかないという心のゆるさは、能力の関数なのですから。
うっかり免罪符の枚数は、無限ではありません。
そして、その制限枚数は、自分で決めなけらばならないのです。
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