ひとさまざまと言いますから、一つのモノの使い勝手もさまざまでしょう。
これは使いにくいというと、いや私にはこれがよいと思うという声は、出てきて当たりまえです。
いちばんのカスは、声の大きい人がこれが使いやすいと言うと、何でもそうだと思ってしまうことでしょう。
自分の感覚がつかめない、どうだろうと考えてもみない、だれかと同じなのは皆が同じなのだという、つくりものの共通認識で間に合わせておくことです。
ファッションのデザインなどには、それが販売戦略に利用されます。
美人もブスも一斉に同じものを着てくれれば、作って売るほうは宣伝だけ巧くやれば売れ行き上々、万々歳です。
そういうデザインにチェックはいりません。
何か主張らしいものがあれば、それが個性的デザインだと尊重されます。
その主張が機能にまで及んだとき、できたモノが扱いにくくなります。
デザインに主張が入った上に、デザイナーの気付かないところでは、作る人の得手勝手が仕込まれてしまうこともあるでしょう。
図面どおりではモノができあがらない設計を、作ることを知らずに描くだけのデザイナーが生み出すこともあるでしょう。
ベテランの製作者は、何も言わずにそれを売れるモノに仕立てます。
さあ、こうしてできあがったモノはどうなるでしょうか。
使うほうが慣れればよい、組み立てのときに簡単に押し込んでしまえば、分解は甚だ困難でも、そっくり交換してもらえばよい、こうしてモノの数だけはどんどん増えていきます。
豊かな生活感とは買い集めたモノに埋まった暮らしなのだと、錯覚する人が増えれば、それにつれて景気は上に向くでしょう。
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