テレビや新聞は、今世紀になって社会での役割が大きく変わりました。
テレビはお楽しみ用、新聞はお楽しみテレビ番組の選定がおもな用途になりました。
それ以外には、ちょっと知って置こうかぐらいの世の中の話題さぐり程度にしか使えません。
息をして、ものを食べているだけの人が、だいじなお得意様になっているからです。
テレビや新聞は、伝えなければならないことを伝えるためにあるものと、多くの人々に信じられてきました。
それがいつの間にか、報道事業にお金を出す人のためにあるものに変わってしまいました。
お金を出す人のためであれば、間違っていることも平気で知らせます。
本当のこと肝心なことでも、お金を出す人から、知られては都合が悪いからやめておけと言われればその通りにします。
なぜそういうことになってしまったのか、多分言いなりがいちばん楽だからでしょう。
楽であることと楽しむこと、同じ文字なら同じことと思ってしまうのも、言いなり地蔵のいたずらでしょうか。
楽に浸っていれば、楽なことしかできなくなります。
ごく一部を除いて、テレビや新聞の事業は、長生きはできても、言いなりが邪魔になって、いま世の中の役には立っていません。
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