私は貝になりたいというTVドラマがありました。
ホタテの貝殻、あるいは固く閉じたシオフキ貝、共通点はないのにそれを思い出させる名優の演じた第一作が、やはり名作でした。
美男に近づけばはまり役からは遠のくという、主演選びの厄介なドラマもあるものです。
貝~浜辺~ドラマ~夢~海の底~貝と、連想はぐるぐる回ります。
夢には、実際に見て忘れてしまう夢と、望みのようなことを見続ける夢のふたとおりがあります。
あとのほうは、ありえないことを「夢」と言わせ思わせて、鼻先にんじんの効果を狙う人使い手法にもなります。
「ありえない」が「夢ではない」と言い換えられると、反語の魔力に、ついその気にさせられてしまうのです。
夢を持ちなさいと言っておいて、精一杯仕事をさせ、待遇はほどほどにしておく、その相互連関がうまく働けば、仕事をする気のある人が成長していきます。
それを「やりがい搾取型」と呼ぶ人もいますが、搾取と言ってしまったのでは直接の当事者に気の毒です。
実際に行われている搾取は、そんなちまちました牧場の乳しぼりのようなことではないのですから。
貝に戻りましょう。
「ヒオウギ貝」という、食べたあとは色と、二度の楽しみを味わせてくれる貝があるそうです。
こんな貝になって見たい、そう思う人がいるかもしれません。
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