・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

読まれなければ毒にも薬にもならない

2014年03月11日 | つぶやきの壺焼

論文が読まれなくなっているそうです。

「研究のカプセル化」と「読者のいない論文」 中原淳
 ⇒ http://jump.cx/ron

論文は発表し保存されるものでした。
それが山ほど積まれても、人間の智恵の足しにはなりません。
論文に書かれたことは、その人個人の問題で、それを世に取り上げて何とかしようという性格のものではなくなっていたのでした。
「わたしの問題」が、「みんなの問題」にほとんどならずじまいなのです。

たまに関心をもたれるものは、それから売りものを作れる、商売のタネになりそうなことだけです。
売りものは有形無形どちらか、いやどちらでもよいお金を出す人が出て来そうならよいのです。
人々の関心が高まっていきそうか、そうでないか、こだわるのは中身ではなくどうなりそうかという見込みだけ、微分性偏重です。

いろいろな論文の社会に役立ちそうなところを組み合わせられるよう重ね上げていく積分性はとうに喪失されました。

読まれなければ、無読ならば、毒にも薬にもなりません。無毒無役です。
論文が読まれないものであれば、よく見ればすぐわかるデータ流用など、研究者の良心の埒外ということになります。
微分性でどんどん狭まった研究者の視野では、無読は無毒と多寡をくくっていても、そうではなく社会には害毒になることに気付くことがないのです。

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