「どっちでもいいは相談の屑」
母親からたびたび聞かされた独白です。
格言とまではいかないこの言い分は、やはり独白ぐらいの格の言葉のように、いまでも思います。
街に出かけたとき、夕食を何にするか、SとTとどっちがいいかと聞かれることがありました。
まともなTの味をまだ知らなかったころには、Sのほうがよかったのですが、聞いたほうがTを望んでいそうだと察知すれば「どっちでもいい」としか答えようがありません。
そういうときに出たのが「どっちでもいいは相談の屑」でした。
そんなとき、Tの返事を待っていたほうはおかんむり、結果はまったく異種のSになるのでした。
自分がこうしようと決めたこと、誰に相談しようと異論のなさそうなことでも、それがいいと言ってもらえば安心、そういうのをミンシュテキでコミュニケーションがとれている、世間では言うらしいのです。
相談というのは、何かを決めかねるからするのであって、結論を決めておいてから「どうだろう」と聞かれても返事のしようのない人は黙るしかありません。
そこで話をしてみるのは、相談は相談でも、やはり屑のような気がします。
結果のわかっている選挙も同様ではないかと、ふと思ったところです。
ここで、珍手法を発見しました。
独白格の言葉も、反転すると格言に仕立て上げることができそうです。
結論の決まっていることは相談の屑である。
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