話の上手な人は、ひとの話に途中で割り込まない。
頭のメモリーがしっかりしているから、思ったらすぐ喋らなくてもすむ。
記憶能力が間に合わなければ、メモという補助手段がある。
自制力が普通の人は、行列に割り込むことはしない。
心のセオリーがしっかりしているから、何でも思ったとおりどうにでもなるとは考えない。
自律能力が間に合わなければ、我慢かあきらめという補助手段がある。
自我の強さは、自律能力不足のあかしとなって、それが国民性と見られるような現れ方をする。
訪れた外国人、行き先で会う外国人に、どう見られるかなどまったく意に介しない。
国民という意識がなければそうなるだろう。
誰かが強烈な権力だけを握っていて、そこには国という概念さえもないのかもしれない。
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