核燃料から放出される放射線の全てを人間が認識しているとは、誰も思っていないでしょう。
と思ってしまうのは、人間の認識が全てに行き届いていると信じてしまうということなのですが、こういうのを何矛盾と呼ぶのでしょうか。
どうにも手がつけられなくなって早く片付けたいからと、核燃料の取り出しを前倒しするような工程表の書き換え案が公表されたそうです。
表を書き換えてみれば、これまで考えてなかったよい知恵が生まれるというのでしょうか。
人間はいろいろな測定器を作って数値で捉える技を身につけてきました。
しかし、その測定は、人間の都合に合わせえて活用できる値を捉えるためのもので、都合の悪いわかってしまっては困ることは測定されません。
計れるものだけを計った、部分のものでしかないデータをベタに均し、そのうえ、あるときに大量な測定結果が出ても、年間換算などとまたベタに均して、これならまだ大丈夫と、安心材料に使えば、都合よくデータを活用できるわけです。
正常な状態でさえ慎重な扱いを要する核燃料が、溶けてしまって直接観察することもできなくなっている実物からは、知られていなかった放射線が出ているかもしれません。
福島の現場では、それと戦わなければならないのです。
そこでは都合の悪いことを測定し、見つけ出していかなければなりません。
早く取り出せば、取り出したものの始末を早くしなければなりません。
触れば触るだけ問題の増えてくるものを、なぜ早くかき回したがるのでしょうか。
ものごとはかき回せば収まっていくという平均マジックで、頭の働きがかき回されているのでしょうか。
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