法律の文章はなぜわかりにくいのかという疑問は、法典をひろげて見たことのある人なら最初に持つだろうと思っていたが、そうでもないらしい。
わからない、難しいその文章は、わざとそういう書き方をしてあるのではなく、一般人が読みにくいだけという見かたもある。
日本の法文は日本語だと思うから、読んでわからないと思うので、文字と発音は同じでも、言葉の本質が違うのだった。
違う言葉なら、わからなくてあたりまえだったのである。
法令や契約書などの法的文書は,誰が読んでも同じ意味にしか解釈できないように書かれていなければならない、そこが日常の日本語とは全く違うのだった。
「法律は、立法意思を参照してはならない」という原則があるといわれる。
日常の日本語は、書かれたこと話されたことが、どういうつもりであったのかを感じ取り斟酌して理解に至る。
しかし、法律は、法文に書かれているとおりに判断をくださなければならず、読み方によって意味が変わってはならないのだ。
日常の日本語のように読みやすい条文にしたのでは、読む人ごとに解釈が異なり、実際のできごとに厳密な適用ができなくなることもある。
人間の営みが複雑になってくれば、法文もそれにつれてより厳密な表現を要求されるので、法文の簡潔化への希求は、ありえないことを望むようなものなのかもしれない。
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