色の一つ一つには、何かたとえようもありますが、木の実の、だんだん変わっていくような色は、それをひとことでは言いあらわせません。
何かを徐々に変えていこうとするとき、一口で説明を求めるのは、自分で頭を使うのは損だという奇妙な勘定をしているからです。
そういう人は、得てしてつまらないことに考え込んでしまうことがありそうですが、いかがでしょうか。
熟すという言葉は、柿やトマトのように、だんだんやわらかくなっていくことを指すものと思います。
文字の意味に無頓着な方は、やわらかくならなくても熟だとおっしゃいます。
唐辛子など、色が変わりながら硬くなっていくのにも、熟の字を使っているようですが、言葉のほうは、熟さないうちに間に合わせてしまっているようです。
芽の色が、ひとびとの目をひきます。
車窓からこの垣根を遠くに見て、「あ、紅茶」と言ったのは、滅法あたまがよく、ふだんは口数の少なかった若者でした。
それを言ってから、少し頬を染めていたのを、ときどき思い出します。