雨に非ならば、雨ではなく雪か、あるいは霧か、その想像は皆はずれでした。
この字を二つ重ねた 霏霏 ヒヒ は、ひらひら降るさま、入り乱れるさま、霜や露の多いさま、飛ぶ雲、飛び回る電光、草ぼうぼう、とりとめのない続き話などと、いろいろな表現になります。
ここでは狒狒も大きな顔ができなくなります。
非は否定ではなく、羽ばたきの象形で、わかれるという意味でした。
道ならぬ行いを非行と言っても、それは行いのありかたで、世に不行という言葉はありません。
人のすることで、行いでないことなどないからでしょう。
責められて「記憶にありません」と言っても、非行であったかもしれないそのことは、なかったことにはなりません。
言ってしまったこと、やってしまったことは、とりとめない言い訳をどれほど続けてみても、帳消しにはならず、ひらひらと人の心に残ります。