電波機能のない時計を秒単位で合わせたいとき、パソコンの時計は見ながらできるので便利です。
電話の時報では、プ、プ、プ、ポーンの音に合わせるとき、ずれができてしまいましたが、針を見ながらなら、ほぼ一発で合わせられます。
ところが、Windows10 の時計には秒表示がないのです。
チャット式のヘルプでは、秒表示をさせない言い訳のような答えしか返ってきません。
勝手にせいと、Web サイトを探したら見つかりました。
情報通信研究機構 日本標準時 です。
欲張り商人は他人の目を気にしません。
ⅩⅩ一路などと言って陸上の道を作りながら行く先々で開発の名を借りてカネ儲けを繰り返し、勢いを海にも広げ、さらに人の移動を媒体に使って全世界に慾の網を張り巡らせます。
その人たちに人道という言葉は通じません。
陸の道、海の道には、実体があるので、それと見分けが付きますが、人を媒体に使ったウイルスの伝搬路は、肉眼では見えないので、全くの自然現象であるかのような錯覚を人々に与えます。
研究所の名を借りて疫病源製造所をつくり、不可抗力の漏洩を装って実験材料を研究所外に移転させ、食文化の多様性を利用して感染の糸口を設ければ、激しい伝染力を持たせて作ったウイルスはたちまち拡散を始めます。
実験効率最高の国民こぞっての休日に、移動媒体が程よく行きわたる時期が選ばれました。
初動時期を的確に選び、観光の人波を利用すれば、拡散実験は容易に実行されることになります。
拡散の過程で、世界各国の疫病危機への対応を観察すれば、政府の危機管理能力、地方行政の能力、報道機関の対応力、随所に配備した工作員の活動効果、国民の反応力と公共心の水準、心情変化の実態、各地の医療施設、医療体制の状況、医療資材の備蓄、物資の輸送力等々が、すべて丸出しでわかります。
この壮大な実験が、偶然事象の重なりであるという証明は不可能です。
一度に何万人もの国民の命を、廃材のように奪う権力を握っている者が、欲張り商人魂をむき出したその次は、救世主を名乗るというのですから、たまりません。
やり口の筋書きが、疫病を作りばらまく⇒マスクを着けるしか一般人には防御方法がないことを周知させる⇒マスクを大量に製造し売りつける⇒マスクを買えないほど弱った会社を見つけて乗っ取る、という地球の表面全体がマスク大戦争というマンガ劇の舞台のようになってしまいました。
マンガにはどこか魅力があります。
猿芝居に夢中にさせて、もっと大事なことがあるのに気付かせない、そのあたりも貪商人の手口なのです。
くわばらくわばら。
研究の芽を摘んではならないと聞けば、そうだと思います。
ところが、そうでないこともあって、その芽を摘まなければ、人類全体を敵に回すような研究に育ってしまいます。
原子爆弾、コロナウイルスという、未曾有の大惨事を引き起こす研究の芽を、人間は摘みそこないました。
研究に没頭する人は、結果の恐ろしさをもっともよく知っていながら、制御、保護の実権を握ることはできません。
人類が滅亡の危機に近づかないためには、WHOのHを I (investigation:調査研究)の領域にまで広げていく改革が必要ではないかと考えます。
悪知恵にたけた人間を、武力で抑え込むことはもうできなくなっています。
WHO(世界保健機関)は、大改革の必要に迫られています。
憲章の第一條には、すべての人々が可能な最高の健康水準に到達することが目的とされていますが、それをよそに、一国の宰相の、覇権の欲望に支配されている様子が、ニュースにたびたび現れます。
人間が持つさまざまな欲望の中でも、覇権の欲望は、国ごと丸ごと健全さを奪い取る、最もたちの悪いものです。
HはHEALTHのみでなく、HOPEを含めて国際管理をするように、生まれ変わってほしいと願っています。
外に出られないので、頭の整理を試みます。
よく聞かれるけれども奇妙な言葉に「基本的人権」というのがあります。
人権はもともと人間の基本的権利であって、それにまた重複した基本的なことというのは、春暖に重ね着のような、暑苦しいものを感じます。
基本中の基本という言い方もありますが、それは言葉の綾として実用にはなっても、実在を糾す表現としては適切でなさそうです。
基本的人権? そんなものねぇよ。
言われた通りは 腹立たしくても
考えいらない それが楽だよ
ダメ号令 早く欲しがる 禁止願
言われた通りは 腹立たしいから
考えないから 気ままにできる
ダメ号令 出しておいても 聞かれずに
世界中 住む人間は いろいろで
数学の難問「ABC予想」証明
こういうニュースの見出しがありました。
難問が証明されたという見出しのところで、わが凡頭は固まってしまいます。
難問難題難解で三つの難が溶けてなくなれば問題解となるので、素人感覚で、証明とは「解」の確かさを明らかにする手段と思っていました。
それが「問」の段階で証明されたと言われると、問題を出すにも証明が必要なのかと考えてしまいます。
国会に出される質問には、それが国会の論議にふさわしいという証明が必要ではないかと思うことが多いのですが、まさかニュースの記者は、ABC予想と名付けられたこれが、数学の問題になり得る土俵入りの資格を得たことを知らせるつもりではなかったでしょう。
地上波TVはウソだらけと聞いていましたが、ほかにも、その時限りの口から出まかせがはやっているように感じられます。
日本でチャイナ肺炎の死者が少ないのは、BCGの接種が効いているのではないかとの仮説の説明に、トルコもそうだとその人は言っていましたが、七日も経たずにこんなニュースが出て来てしまいました。
さて、ニュースと名の付く番組は、どこまで真面目に聞けばよいのでしょうか。
「自分の中で・・・・ありました」という何かの感想を述べるときの表現形式があります。
「私は・・・・と思いました」と言えばわかりやすい言葉になるのに、そうしないのはなぜでしょうか。
感想は自分が思ったことであるのに、変な日本語を使ってでも、自分を見せない、隠すわけではなくあえてあからさまにしない、話し方の習慣のようなものができているようです。
なんでもひとごとのように振舞い、人ごとのように話す、こういう言語空間の中では、いったん壁で跳ね返った言葉が伝わることになります。
その反射経路を探りながら聞き取るうちに、微妙な角度違いが、誤解や曲解のもとになりやすく、外国の人には日本人の言っていることが伝わりにくいのでしょう。
直接飛んできているタマも、どこかで反射するのを待っている、ひとごとぶりの背中を見せられているような日々です。
このじれったさを吹き飛ばす痛快なことを望んではいますが、まだ思いつきません。
道端の笹藪にマスクが捨てられています。
三百メートルほど歩く間に二つ見つけました。
近々各世帯に二枚ずつマスクが配られるそうです。
政府がそう決めたとのことで、恐れ入ります。
ことろが一方では、たくさん必要な病院で、マスクが足りないと伝えられています。
病原をばらまいて威張っているあの国へ、何万枚ものマスクを贈り届けて、いいひと顔をしてるセイジ屋さんもいます。
マスクを全世帯に配ると、どういう効果がありそうか、考えてみました。
・配り方を決める会議ができ、仕事をしているような気分になる。
・配るための作業を、お役所に増やすことができる。
・むき出しでは配れないので、包装の仕事ができる。
・包装の前に必要な、消毒の仕事ができる。
・配送の仕事ができる。
・配るとき恩着せがましい手紙を付けるはずで、印刷の仕事ができる。
あ、肝心なことを忘れていました。
・大急ぎで一億枚のマスクを作る仕事と、それにかかわるいろいろな仕事ができる。
・その気になれば、働き改革の効果測定資料も得られる。
さて、一般家庭で二枚のマスクをいただいて、本当に助かったと思う人がどれくらいいるでしょうか。
家で必要なら自分でも作れます。
赤信号 みんなでマスクを つくりまホ
「公衆は今のところ真剣に受け止めていない」「緩みが心配だ」
こんなことを言ってうろうろしているうちに、事態はどんどん悪くなります。
「政府は、国民に対する正確で分かりやすく、かつ状況の変化に即応した情報提供や呼びかけを行い、行動変容に資する啓発を進めるとともに、冷静な対応をお願いする」
え!
「基本的対処方針」「情報提供・共有」
これは平常時にしておくこと、なんですか今頃?
「緊急事態だ、言うことをきけ!」となぜ言えないのですか。
仕事をもたないバカな年寄りがわいわい騒ぐのがうるさいからか。
うるさかったら「黙れ、死にたいか」と言えばよい。
とにかく顔色伺いはやめて、はっきりものを言いなさい。