5.1985年9月15日(日) 天気曇り ルチェルンにて
空港を出るとこれからの行動のため麻美は次々に駆け廻って手続きをとる。
ドイツ語標示で苦しむ。
言葉はフランス語で通じるのでことはスムースに運ぶ。
ここでも荷物の番であった。
列車に乗り込みある街に行くことになる。
麻美に聞いたが疲れていたのですぐに忘れてしまう。
ユーレイルパス券の初使いである。
駅には、日本のような切符切りもなければ改札もない。
ゆったりとした車掌がユーモアのある態度で検札にきた。
列車は湖水のほとりに沿って突き走る。
風景はスイスだけのことあって、信州の風景に似たところがあるけれど、民家が漫画的なところが違う。
飛行機を降りたときは日本人はたくさんいたが、どこにその姿を消したか、ちりぢりに散り、どこにも見当たらなかった。不思議に思った。
日曜で観光案内所が開いていいないため、自力で今晩の宿探しが始まる。
目星を付けておいたので、早く見つかるが13キロの荷物を背負って30分は歩く。
夜から雨が降り出し、肌寒い。日曜とあって店は閉じている。歩き回ってファミリーレストラン的なところを見つけた。飛行機の疲れで早めに寝る。
【追記】
まず1泊目はスイスのルチェルン
私は20代だったこともあり時差ぼけはなかった。(今は無理だと思う)
まず1泊目はスイスのルチェルン
私は20代だったこともあり時差ぼけはなかった。(今は無理だと思う)
スイスに着いたのが朝だから、その日はスイス時間の夜になるまで頑張って起きていて、夜ぐっすり眠れば翌日から普通に動けると思っていた。当時54歳の父にも同じようにしてもらった。
今にして思えば、父は時差ぼけは大丈夫だったのだろうか。
かなり無理したのではないだろうか。
ルチェルンの街で立ったままスケッチしたこの絵は、いずこに?
【下の3点は、このブログアップ後に発見したスケッチ画です。】
ルチェルン湖畔でのスケッチ
雨の中描いている
高台のホテル前の坂道より
※この旅行記作成しながら、実家倉庫からいくつものスケッチブック発見。そこにはスケッチや日記が書き込まれていました。
そのうちの一つが雨のルチェルン湖畔で立ったまま描いているこのスケッチブック。
このときのスケッチをはじめとして、いくつかのスケッチを追加します。