私は今、古書&中古CDの某ショップに勤めている。この職に就いてからは毎年元日早々仕事で、今年もご多分に漏れなかった。今年は三が日続けて出勤なので、お正月気分を味わえるのは少し先になる。
私は持病の薬をもらうために月に一度のペースで通院しているが、その病院の外来待合に昨年の春先、本棚が据えられた。診察を待つ患者さんに少しでも快適に過ごしてもらおうという計らいだ。本棚の設置に当たって、気さくな女性のドクターは私に意見を求めてくれた。
病気の方でもあまり重く感じないような、パラパラとめくって拾い読みもできるような気軽な本がいいのではないか、と私は答えた。先生は「雑誌なんかもあるといいかもしれないわね」と言い、私にも「何か寄付してもいいような本があったら持ってきてね」とおっしゃった。
一ヵ月後私は、私物だった『私もサラリーマンだった!』(峯岸桂子)と、改めて勤め先で安く買った高木ブーの『第5の男』を携えて、病院へ向かった。先生はページをめくると、「面白そう。読みやすいわね」と喜んでくださった。
それから私は、病院に寄付する本を選ぶのを密かに楽しみにするようになった。買取をしていると、面白そうだなと食指が動く本にめぐり会う。自分では時間と興味の兼ね合いで結局は読まずじまいになりそうな本でも、購買意欲をそそられるものも少なくない。今までは、財布の紐を堅く締めて我慢するか、買って部屋の片隅に積んだままになるのがオチだったが、新たに第三の選択肢ができたわけである。
3ヶ月に二回程度の割り合いで本を買い、病院に持参した。『神様におねがい』(大橋歩)、『ドリームズ~夢への道のり』(J-WAVE・編)、『おいしい人間』(高峰秀子)、『生活はアート』(パトリス・ジュリアン)、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(村上春樹)、……棚が少しずつ充実していくのを見て、独りほくそ笑んだ。
初めの3ヶ月ほどは、寄付した際に置かれた位置から本が動いた形跡さえ見られなかったが、その後借り出されて返ってきた本、いまだ持ち出しのままになっている本など、反応が目に見える形で現れてきているのが嬉しい。
今では他の患者さんの気持ちを考えて本を選ぶまでに回復した私も、5年前の今はこの病院に再入院を余儀なくされていた。建物こそ建て替えをする前の古ぼけた病棟ではあったが、振り返ってみると、レクリエーション等なかなかに工夫が凝らされていた。俳句を詠んだり、元旦にはお茶を点てて頂いたりといった活動は、奇しくも今の私につながっているようである。
入院中、一度 書道の先生をお迎えして習字の時間もあった。先生が一人一人の顔を見て、それぞれ別々のお手本を選んでくださり、各自そのお題目を見よう見まねで書く。先生は鼻唄を歌いながら一人一人にお手本を配られていた。
私に渡されたお手本は「仕事始め」。ひと月前、やっとの思いで復帰した職場を一週間で退去せざるをえなくなっていた私としては、いささか決まりが悪いお題ではあったが、無心になって筆を運んだ。
入院はちょうど一ヶ月間だった。退院後病院に診察に行くと、私の習字が銀賞を受賞していたとかで、駄菓子の大きな詰め合わせの袋を賞品としていただいた。
約一年の自宅療養、コンビニ勤めを経て、現在の仕事に就いたのは退院から2年9ヶ月の後。長い道のりだったようだが、今日の私に向かって一歩一歩前進してきていたのだということが今にして分かる。病院で「仕事始め」のテーマをもらい、今 無償とはいえ病院に仕事絡みのことで多少なりとも寄与していることは、何か不思議な因縁のようなものを感じなくもない。
私のブログをご贔屓にされていて、うすうす感じ取っている方もいらっしゃるだろうが、私が通っている病院とは『カッコーの巣の上で』に出てくる種類の病院である。この映画を観た時、端役の患者達の挙動のリアルさには驚いたものだ。
今回は、ベラ・フレック&ザ・フレックトーンズの『Three Flew over the Cuckoo's Nest』をご紹介しておく。アルバム・タイトルはほぼ間違い無くくだんの映画からの引用であろうが、技巧的で軽妙なバンジョーには一瞬「なぜ、『カッコーの巣の上で』??」と考えてしまったが、無軌道な主人公マクマーフィが病院の閉塞感に風穴を開けていく様にハタと思い当たった。このCDも腕白なすがすがしさに満ち満ちていて、魅力的である。
私は持病の薬をもらうために月に一度のペースで通院しているが、その病院の外来待合に昨年の春先、本棚が据えられた。診察を待つ患者さんに少しでも快適に過ごしてもらおうという計らいだ。本棚の設置に当たって、気さくな女性のドクターは私に意見を求めてくれた。
病気の方でもあまり重く感じないような、パラパラとめくって拾い読みもできるような気軽な本がいいのではないか、と私は答えた。先生は「雑誌なんかもあるといいかもしれないわね」と言い、私にも「何か寄付してもいいような本があったら持ってきてね」とおっしゃった。
一ヵ月後私は、私物だった『私もサラリーマンだった!』(峯岸桂子)と、改めて勤め先で安く買った高木ブーの『第5の男』を携えて、病院へ向かった。先生はページをめくると、「面白そう。読みやすいわね」と喜んでくださった。
それから私は、病院に寄付する本を選ぶのを密かに楽しみにするようになった。買取をしていると、面白そうだなと食指が動く本にめぐり会う。自分では時間と興味の兼ね合いで結局は読まずじまいになりそうな本でも、購買意欲をそそられるものも少なくない。今までは、財布の紐を堅く締めて我慢するか、買って部屋の片隅に積んだままになるのがオチだったが、新たに第三の選択肢ができたわけである。
3ヶ月に二回程度の割り合いで本を買い、病院に持参した。『神様におねがい』(大橋歩)、『ドリームズ~夢への道のり』(J-WAVE・編)、『おいしい人間』(高峰秀子)、『生活はアート』(パトリス・ジュリアン)、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(村上春樹)、……棚が少しずつ充実していくのを見て、独りほくそ笑んだ。
初めの3ヶ月ほどは、寄付した際に置かれた位置から本が動いた形跡さえ見られなかったが、その後借り出されて返ってきた本、いまだ持ち出しのままになっている本など、反応が目に見える形で現れてきているのが嬉しい。
今では他の患者さんの気持ちを考えて本を選ぶまでに回復した私も、5年前の今はこの病院に再入院を余儀なくされていた。建物こそ建て替えをする前の古ぼけた病棟ではあったが、振り返ってみると、レクリエーション等なかなかに工夫が凝らされていた。俳句を詠んだり、元旦にはお茶を点てて頂いたりといった活動は、奇しくも今の私につながっているようである。
入院中、一度 書道の先生をお迎えして習字の時間もあった。先生が一人一人の顔を見て、それぞれ別々のお手本を選んでくださり、各自そのお題目を見よう見まねで書く。先生は鼻唄を歌いながら一人一人にお手本を配られていた。
私に渡されたお手本は「仕事始め」。ひと月前、やっとの思いで復帰した職場を一週間で退去せざるをえなくなっていた私としては、いささか決まりが悪いお題ではあったが、無心になって筆を運んだ。
入院はちょうど一ヶ月間だった。退院後病院に診察に行くと、私の習字が銀賞を受賞していたとかで、駄菓子の大きな詰め合わせの袋を賞品としていただいた。
約一年の自宅療養、コンビニ勤めを経て、現在の仕事に就いたのは退院から2年9ヶ月の後。長い道のりだったようだが、今日の私に向かって一歩一歩前進してきていたのだということが今にして分かる。病院で「仕事始め」のテーマをもらい、今 無償とはいえ病院に仕事絡みのことで多少なりとも寄与していることは、何か不思議な因縁のようなものを感じなくもない。
私のブログをご贔屓にされていて、うすうす感じ取っている方もいらっしゃるだろうが、私が通っている病院とは『カッコーの巣の上で』に出てくる種類の病院である。この映画を観た時、端役の患者達の挙動のリアルさには驚いたものだ。
今回は、ベラ・フレック&ザ・フレックトーンズの『Three Flew over the Cuckoo's Nest』をご紹介しておく。アルバム・タイトルはほぼ間違い無くくだんの映画からの引用であろうが、技巧的で軽妙なバンジョーには一瞬「なぜ、『カッコーの巣の上で』??」と考えてしまったが、無軌道な主人公マクマーフィが病院の閉塞感に風穴を開けていく様にハタと思い当たった。このCDも腕白なすがすがしさに満ち満ちていて、魅力的である。
旧年中は相も変わらずマイペースな私のブログにお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
振り返ってみると、過去一年は<目覚めの音楽>と<聞茶>のエントリーに終始した年でした。今年もこれらのカテゴリーは続行しますが、今年ならではの新色も打ち出すべく目下思案を重ねています。
とりあえず年初め、今年も昨年同様、年賀状の転載でエントリー初めとさせていただきます。
教会のアメリカン・ウェイに反発を覚えたのが6年前。
自分の正しさを誇示するのは違う。考え過ぎて発病した。
背景に思いを託すブログを始めて2年。
回り道が案外近道になることもある、
そう信じて言葉を紡ぐ。
信じる心は 研ぎすまされた刃
今の私は猪突猛進、ならぬ
ちょこ(猪口)っと盲信。
あいや、失礼。
*「盲信は研ぎすまされた刃のごとく」(ミルトン・ナシメント歌)より
引用
振り返ってみると、過去一年は<目覚めの音楽>と<聞茶>のエントリーに終始した年でした。今年もこれらのカテゴリーは続行しますが、今年ならではの新色も打ち出すべく目下思案を重ねています。
とりあえず年初め、今年も昨年同様、年賀状の転載でエントリー初めとさせていただきます。
教会のアメリカン・ウェイに反発を覚えたのが6年前。
自分の正しさを誇示するのは違う。考え過ぎて発病した。
背景に思いを託すブログを始めて2年。
回り道が案外近道になることもある、
そう信じて言葉を紡ぐ。
信じる心は 研ぎすまされた刃
今の私は猪突猛進、ならぬ
ちょこ(猪口)っと盲信。
あいや、失礼。
*「盲信は研ぎすまされた刃のごとく」(ミルトン・ナシメント歌)より
引用