水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一曲鑑賞(1):塩谷達也「アタラシイウタ」

2021年02月13日 11時05分10秒 | 一曲鑑賞
〜 塩谷達也「アタラシイウタ」(『琴音』 disk[祈りうた]より)


  こわがってたら 鬼さんこちら
  今にも涙が こぼれそうさ
  長いこと ここに天使は 舞い降りてこない


 「アタラシイウタ」の最初の連(verse)である。これを聴くだけで最近の私は泣いてしまう。ずっと「鬼」として生きてきたこと、今でも「鬼である」ことをある意味必要とされているのを感じてしまうから。
 去年の夏から秋にかけてだったろうか、作業所で一階のトイレに行って個室に入っていると、二階の作業室から明るいさざめきが聞こえてきた。私は天の邪鬼なのかもしれないが、自分にとってはごく自然に会話しているつもりでも、周りを凍りつかせてしまっていることが多分にある。だから〈鬼の居ぬ間の笑い声〉がいっそう染みるわけだ。
 永井陽子の歌集『樟の木のうた』に次の一首がある。

  男ゐて「泣いた赤鬼」のものがたりつづけてひすがら地は冷えてゆく

 この「男」と「赤鬼」の心境に感傷的になってしまうのは、自意識過剰すぎるのかもしれない。私は小さい頃から目つきが鋭かったらしい。まだ小学校にも上がっていない頃の兄弟三人で写った写真を見ると、三人三様、その時分から今の性格が滲み出ているようである。写真の私は、笑ってこそいるものの、目つきがキツい。小学校に入ってからの夕食は苦痛だった。食卓の中央に置かれた醤油などを取ろうと目を上げると、間髪を入れずに「睨んだな!」という罵声と共に兄から台拭きが顔を目掛けて飛んでくるのは日常茶飯だったからで、次第におどおどとした所作が身についていった。学校でも、のちには彼氏や、職場の同僚、パート先に来店した客からも「目つきが悪い」「睨んでいる」と指摘されてきた。そんな私だから、人と目を合わせるのは怖かった。私に対して怒る、あるいは怯える表情が相手に見て取れてしまうからである。
 昨日作業所で、少し年配の男性メンバーが困っていたのに気を利かせた職員に対して、言葉尻を捕らえたような無神経なダジャレを飛ばし続けていた当人を見かねて、私は彼の前へ立った。特段にらみを利かせたつもりはなかったが、充分凄みはあったようだ。私は「せっかく○○さんが助けて教えて下さっているのだから、ふざけて茶化してないで、よく見ていて、少しは学習したらどうですか」と言った。不遜と見られても仕方ないが、言わずにいられなかったのだ。でも後々振り返っても言う必要はあったと思う。
 神様は、私の目も造られた。そして、私のこれまでの歩みも全て見守っていて下さった。私が周りに抗うために身につけた悪い言葉の数々、強い語気なども全てご存知だった。神様はその全てを容認されたわけではなかったけれど、そのような私を丸ごと受け容れて下さり、のちに少しずつ悔い改められるよう道を備えて下さった。

あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか わたしの魂はよく知っている。 秘められたところでわたしは造られ 深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。 (詩編139編13〜16節)

  終わりのない 戦いのなかで どうすればいいの

  ほんとかな いつでもどこかで見守る
  ひとがいるって
  ほんとなら それだけでもういいから
  僕は歩ける
  このまま すべて失くしても 新しい歌が
(塩谷達也「アタラシイウタ」より)


Tatsuya and Miwa Shioya - アタラシイウタ
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