母乳さえうまく飲めないみどりごを抱いてごらんとわれに抱かせる
永田は脚に障害を持って生まれた。そのことを発端に両親亡き後の身の回りの心配をされたりと、肩身の狭さを感じつつ暮らしてきた様子が歌集全体から窺える。また障害を理由に終わった恋もあったようだ。淡々と事実を描写しているだけに、その悲哀がいっそう胸に迫る。掲出歌と続く下記の歌は、妹の子がまだ生まれて間もない頃に抱かせてもらったことを描いている。
晩秋のようなあかるさ子を知らぬわたしの腕がみどりごを抱く
永田の裡に秘めた葛藤を嬰児は知らず、安心して抱かれている。「晩秋のようなあかるさ」とは屈託のない子どもの笑顔とも取れるし、無防備とも思えるまでにゆったりと彼女に身を任せている幼子にふつふつと込み上げてくる永田自身の喜びとも取れる。その両方なのかもしれない。
掲出歌を読んでの思い出を一つ書かせていただく。私は20歳で洗礼を受け、24歳の時に教会を離れた。けれど会社で生じた後輩との諍いから、私が神様なしでは人を愛することのできない人間なのだと思い知らされ、数年のちに母教会へまた通い始めた。母教会は信仰に関して大変厳しい教会で、再び教会員として認めてもらうためには様々なハードルを乗り越えなければならなかった。私は昔からリーダー格の人と話すのが苦手だったが、私が何とか教会に籍を復帰できるようにと信徒らは代わる代わる私を牧師や教会スタッフのもとへ連れて行った。御言葉は鋭い。容赦なく突き刺してくる。私が自分でもよく分かっていない自身の気持ちを上手く説明できぬうちに、様々なリーダーから裁かれる思いが拭えず、ある日牧師のもとへ連れて行かれた私はただ泣いてしまった。幼い長女を抱っこした牧師に「怖いの?」と訊かれた私は「はい」と答えることしかできなかった。すると牧師は「○○ちゃーん、お姉ちゃんのところへ行って」と、娘さんを抱かせてあげようと私の方へ差し出した。その子が人見知りしやすい子であることは知っていたし、実際少し戸惑いの表情も見えたが、私の方に恐る恐る身を預けて抱っこさせてもらえた。私のようにおどおどした大人は、子どもにとって居心地の良い存在では決してない筈だ。しかしその子は私の腕に身を任せてくれた。それは私が信頼できたからではなく、そのように仕向けたお父さんを絶対的に信頼していたからであったに違いない。そして、子どもの扱いに慣れない私でも信用して子どもを抱かせてくれた牧師の愛を感じた。それからしばらくして、私は母教会に再堅信することができた。
掲出歌の二首前に下記の歌が置かれている。
どこかからようやく着いた舟みたい母がひなたに籠(クーハン)を干す
この歌に、ヘブライ人モーセの誕生の経緯が綴られた出エジプト記2章を思い出した。ヘブライ人の男児を皆殺しするよう命じたファラオに背き、嬰児を隠していた母親がついに子を隠しておけなくなり、パピルスの籠に入れてナイル川河畔に置く物語である。モーセはファラオの王女に拾われる。籠を開けると泣いていた男児に王女は不憫になり、モーセは王女の子として迎え入れられ育てられた。
私は結婚しておらず子どもはいない。多分独り身のまま一生を終えることだろう。でも子どものいない私に、その恵みを分かち合って下さった方が人生の節目節目でいたことを思う。今でも子ども世代との関わりは極めて薄いし、非現実的な想像を膨らませるのが無責任なのは言うまでもない。だがこれまでの人生を振り返って御言葉の真実さを思う時、次の聖句も何かの形でしみじみと味わう日も来るのかもしれない、とふと思ったりもするのである。
あなたは心に言うであろう 誰がこの子らを産んでわたしに与えてくれたのか わたしは子を失い、もはや子を産めない身で 捕らえられ、追放された者なのに 誰がこれらの子を育ててくれたのか 見よ、わたしはただひとり残されていたのに この子らはどこにいたのか、と。(イザヤ書49章21節)
永田愛『アイのオト』
永田は脚に障害を持って生まれた。そのことを発端に両親亡き後の身の回りの心配をされたりと、肩身の狭さを感じつつ暮らしてきた様子が歌集全体から窺える。また障害を理由に終わった恋もあったようだ。淡々と事実を描写しているだけに、その悲哀がいっそう胸に迫る。掲出歌と続く下記の歌は、妹の子がまだ生まれて間もない頃に抱かせてもらったことを描いている。
晩秋のようなあかるさ子を知らぬわたしの腕がみどりごを抱く
永田の裡に秘めた葛藤を嬰児は知らず、安心して抱かれている。「晩秋のようなあかるさ」とは屈託のない子どもの笑顔とも取れるし、無防備とも思えるまでにゆったりと彼女に身を任せている幼子にふつふつと込み上げてくる永田自身の喜びとも取れる。その両方なのかもしれない。
掲出歌を読んでの思い出を一つ書かせていただく。私は20歳で洗礼を受け、24歳の時に教会を離れた。けれど会社で生じた後輩との諍いから、私が神様なしでは人を愛することのできない人間なのだと思い知らされ、数年のちに母教会へまた通い始めた。母教会は信仰に関して大変厳しい教会で、再び教会員として認めてもらうためには様々なハードルを乗り越えなければならなかった。私は昔からリーダー格の人と話すのが苦手だったが、私が何とか教会に籍を復帰できるようにと信徒らは代わる代わる私を牧師や教会スタッフのもとへ連れて行った。御言葉は鋭い。容赦なく突き刺してくる。私が自分でもよく分かっていない自身の気持ちを上手く説明できぬうちに、様々なリーダーから裁かれる思いが拭えず、ある日牧師のもとへ連れて行かれた私はただ泣いてしまった。幼い長女を抱っこした牧師に「怖いの?」と訊かれた私は「はい」と答えることしかできなかった。すると牧師は「○○ちゃーん、お姉ちゃんのところへ行って」と、娘さんを抱かせてあげようと私の方へ差し出した。その子が人見知りしやすい子であることは知っていたし、実際少し戸惑いの表情も見えたが、私の方に恐る恐る身を預けて抱っこさせてもらえた。私のようにおどおどした大人は、子どもにとって居心地の良い存在では決してない筈だ。しかしその子は私の腕に身を任せてくれた。それは私が信頼できたからではなく、そのように仕向けたお父さんを絶対的に信頼していたからであったに違いない。そして、子どもの扱いに慣れない私でも信用して子どもを抱かせてくれた牧師の愛を感じた。それからしばらくして、私は母教会に再堅信することができた。
掲出歌の二首前に下記の歌が置かれている。
どこかからようやく着いた舟みたい母がひなたに籠(クーハン)を干す
この歌に、ヘブライ人モーセの誕生の経緯が綴られた出エジプト記2章を思い出した。ヘブライ人の男児を皆殺しするよう命じたファラオに背き、嬰児を隠していた母親がついに子を隠しておけなくなり、パピルスの籠に入れてナイル川河畔に置く物語である。モーセはファラオの王女に拾われる。籠を開けると泣いていた男児に王女は不憫になり、モーセは王女の子として迎え入れられ育てられた。
私は結婚しておらず子どもはいない。多分独り身のまま一生を終えることだろう。でも子どものいない私に、その恵みを分かち合って下さった方が人生の節目節目でいたことを思う。今でも子ども世代との関わりは極めて薄いし、非現実的な想像を膨らませるのが無責任なのは言うまでもない。だがこれまでの人生を振り返って御言葉の真実さを思う時、次の聖句も何かの形でしみじみと味わう日も来るのかもしれない、とふと思ったりもするのである。
あなたは心に言うであろう 誰がこの子らを産んでわたしに与えてくれたのか わたしは子を失い、もはや子を産めない身で 捕らえられ、追放された者なのに 誰がこれらの子を育ててくれたのか 見よ、わたしはただひとり残されていたのに この子らはどこにいたのか、と。(イザヤ書49章21節)