水の門

体内をながれるもの。ことば。音楽。飲みもの。スピリット。

一首鑑賞(49):政石蒙「君らの勁き心を窃む」

2017年09月30日 17時40分02秒 | 一首鑑賞
盲人の機関誌編集に眼を貸して君らの勁(つよ)き心を窃(ぬす)む
政石蒙『花までの距離』(『ハンセン病文学全集8:短歌』より)


 歌意に曖昧さはない。ハンセン病そのものの痛苦、また病によって引き起こされた人間関係の煩悶を詠った歌が圧倒的多数を占める『ハンセン病文学全集8:短歌』にあっても、この掲出歌の類想歌は一つもない。
 ハンセン病患者と一口に呼べど、四肢の末端から肉が削げていったり、鼻が欠けたり、目が見えなくなったり、その症状は一様でない。政石には視力が残されていたようだ。目が不自由になる者の多いハンセン病患者の療養施設においては、彼の「視える」ことは貴重だったはずだ。彼らの間で発行された機関誌の編集に借り出されたことは自然な流れだったに違いない。そして政石自身はそのことについて、「眼を貸して君らの勁き心を窃む」と詠んだ。他の患者らの目や耳に届く可能性も考えれば、こう言い切るのに勇気が要ったことは想像に難くない。
 私事で恐縮だが、私は目の不自由な方への代読ボランティアをかれこれ三年三ヶ月の間続けてきた。それを「卒業」させていただいたのは昨年末。きっかけは、その五ヶ月ほど前に代読サービスの利用者の方から、その方と同じご病気の患者さんの会の機関紙の音訳(文章や図表・写真などを目の視えぬ人にも理解できるように訳して読み上げ、音声として録音すること)を頼まれたことだった。私は即座に、もう無理だ、と観念した。私の生活は、精神障害者の年金で成り立っている。身体障害や知的障害よりも病状寛解の可能性が比較的高い精神障害の場合は、一度年金の支給が決定されても、その後の病気の経過・社会復帰の程度によっては支給を打ち切られることもある。つまり綱渡りなのだ。私が乳がんを宣告されても、手術やその後の治療に安心して専念できたのは、障害年金によるバックアップがあったからに他ならない。しかし、術後五年を前に集中的な治療の一区切りを迎えようとしていた昨年の夏、今のままの生活を続けて行ったものか迷う気持ちが出始めていた矢先、音訳の依頼のメールが入った。私はスマホから即お断りの返信を打った。それ以降、代読卒業へと舵を切って行ったのである。
 私の決断は正しかったのだろうか。マタイによる福音書5章41〜42節 に「だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない」というイエスの言葉がある。私は御言葉通りに生きることができなかった。
 昨年度の県の障害者文化展に、私は代読ボランティアについて詠んだ短歌の連作「影になって」を提出した。乳がん罹患を機に黒衣に徹する決意を固めたかのような内容だった。今振り返って思う。多少の善意で始められたことにせよ、私の代読ボランティアは自己陶酔の域を出ていなかったのだな、と。そして、「編集に眼を貸」すことさえしなかったのに、「君らの勁き心を窃」んであのような連作をまとめたのだな、と。
 『ハンセン病文学全集8:短歌』の中には、政石のように視える目を他の患者のために用いた永井静夫の歌もあった。

  ポケットに眼鏡忘れず持ちていづいかなる代書けふ頼まれむ/永井静夫『冬風の島』

 私は現在、視覚障害の方のために何もしていない。だが、可能な範囲のことで何かを頼まれたのなら、反応できる自分でありたい。それが、代読サービスの利用者の方にできるせめてもの恩返しだと思うから。

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