水の門

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聖書黙想 2023年10月21日

2023年10月21日 08時05分07秒 | 黙想・聖書通読・礼拝聖句
歴代誌第二9章の、ソロモンの富の詳述は、読んでも正直「あぁそうですか」としか思わない。各種の財宝やらに詳しい方が読めばそのディテールに大興奮してあるいは神を賛美するのかもしれないが、私は辛酸を舐めたダビデの苦しい歩みとその道程で漏れ出でた悲痛な詩篇のほうにずっと真実味を感じる。まぁ私が穏和な人間でない証左には違いない。
でも、ソロモンが「伝道者の書」(コヘレトの言葉)で「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう」(新改訳第三版 1章2〜3節)と言い、2章4〜11節で「私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。木の茂った森を潤すために池も造った。私は男女の奴隷を得た。私には家で生まれた奴隷があった。私には、私より先にエルサレムにいただれよりも多くの牛や羊もあった。私はまた、銀や金、それに王たちや諸州の宝も集めた。私は男女の歌うたいをつくり、人の子らの快楽である多くのそばめを手に入れた。私は、私より先にエルサレムにいただれよりも偉大な者となった。しかも、私の知恵は私から離れなかった。私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない」(新改訳第三版)と書いたように、贅を尽くしたソロモン自身が満たされていなかったのを見ると、貧しくても主と共に歩むほうが幸いだなぁ、とつくづく思う。
列王記第一4章32節には「彼(ソロモン)は三千の箴言を語り、彼の歌は一千五首もあった」(新改訳第三版)と記されているが、歌のほうはまぁ「雅歌」があるとは言え、「詩篇」にはソロモンによる、とされているものは二つしか載っていない(72篇/127篇)。ソロモンは機知には秀でていたが、後々まで人の心を生かす詩はあまり詠めなかったのかもなぁ……

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