私がまだ中国へ出稼ぎに行く前、「中国毒餃子事件」というのがあり、
日本社会は大いに騒いだ。
中国から輸入した冷凍餃子を食べて被害に遭った人がたくさん出たからだ。
昨日(1/20)、その事件の判決公判があったとラジオのニュースで聞いた。
あの事件以降、日本国内では中国の評判が落ちた。
「国家の体制とかを言っているんじゃないで。
こんな事件があったら中国人や中国のものってどこまで信用できるか心配やねん。」
と友人の一人が言った言葉が忘れられない。
当時、私は近畿中国帰国者支援交流センターで週末だけ日本語を教えていた。
帰国者の妻として日本に来た呂さんが、憮然とした表情で言ったことがある。
「皆、私の顔を見たら『毒餃子事件起きたな。中国、一体どうなってんねん』と聞く。
私は『知らん!』と言うだけ。日本でだって食品関係の事件はあるのに……。」
呂さんの言うように、日々のニュースを聞くだけでも、
日本でも食品にからむ事件は後を絶たない。
最近も冷凍食品に農薬が混入されるという事件があり、
誰が何故そんなことをしたのかは未だわかっていない。
確かに、農薬の使い方、廃油を再利用して売る手口など、中国のやり方は派手だ。
それでも日本人が日本社会の犯罪と中国などアジア諸国の犯罪を比較するとき、
そこに決めつけと差別が全くないと言えるだろうか。
2010年春、私はインターネットで中国江西省に職を見つけた。
その時の初任給は毎月4800元プラス光熱費500元、合計5300元/月だった。
当時の為替レートで円に換算しても7万円にも満たず、
心中(たったそれだけ~!)と叫びたくなった。
しかし、「毒餃子事件」で逮捕された青年の実家(農家)の年間収入が
2000元だと報道で知って(年間収入です。念のため)、愕然とした。
大学卒の初任給は南昌で平均2200~3000元/月とも聞く。
青年は高校に進学せずに都市部へ出稼ぎに行き、
初めの頃は実家に送金していたが、いつしか途切れたそうだ。
青年と妻は同じ職場(天洋食品)で臨時職員として働いていたが、
給料は非常に少なく、実家に仕送りできるどころか、
何回会社に願い出ても二人が食べていけるほどの給金は支払われなかった。
犯行の動機は、ようやく妻の給料を上げると約束した会社がそれを履行しなかった。
それで彼は決壊したという。
昨日、青年に無期懲役の判決が下った。
青年は終始無言でうつむいていたそうだ。
青年が逮捕された当時、実家まで取材に押しかけた報道記者に対してお父さんが、
「もし息子がそんな悪いことをしたのでしたら、
親として被害者の方々に心からお詫びします。
しかし、息子は家にいたときは本当に親孝行な良い子どもでした。」
と語った記事も読んだ。
あまりにも貧しい人々がいる。それも中国の一面だ。
中国は多くの課題を抱えている。
もし、と私は思う。
もし、周恩来氏が日本国家に日中戦争戦勝国として賠償金を要求していたら、
日本の今の状態はなかったかもしれない。
そして、中国はここまでの貧富の差を引きずらなかったかも知れない。
かたや日清戦争(1894-95)後、
戦勝国日本は当時の中国が払えないほどの賠償金を請求し、
中国は他国から借金してそれを支払った。
具体的に言うと二億両(テール)、つまり当時の銀相場で3億円を請求し、
後にさらに増額し、最終的に3億6千万円を受け取った。
当時の日本の国家予算は8千万円で、日本は国家予算の4倍以上の金額を
中国から受け取った、というかふんだくり取った。
日本が中国からとんでもない金額の賠償金を取ったことも、
周恩来氏が日本に対して賠償金を払わなくてもいいと寛大に申し出たことも、
二つとも消し去ることのできない歴史的事実である。
「毒餃子事件」の背景に中国の貧しさがあり、
その貧しさに対して日本は全く関係ないと言えるのだろうか。
戦争責任はきちんと果たすべきだったんじゃないだろうか。
いくら周恩来さんが寛大な申し出をしたからと言って、
その寛大さに甘え、責任をもいつしかODA援助にすり替え、
自国の経済発展に繋げた日本の戦後政治を、
私たちは胸を張って立派だと言えるのだろうか。
(2014年1月21日記)