毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「若い坊さんの話を聞いた」2014年1月15日(水)No.No.837

2014-01-15 11:48:52 | 日記


1月11日(土)、大阪梅田の一角で39歳の京都のお坊さんの話を聞いた。
しかし、直接的な仏教の説教ではない。
「新聞うずみ火」(小さいけど全国紙)主催の
「秘密保護法について知ろう」という会があって、
そこで聞いた話だ。

私から見ればまだまだ若いそのお坊さんは、
特定秘密保護法案が国会に上程される前後から四条大橋のたもとで、
5週間、その危険性を訴えたという。
「坊主に何が分かる!」という非難もあったが、逆に握手を求めてきた人もいたそうだ。
「何が秘密なのかが分からない」
「逮捕されても理由が分からない」
「『一般』は対象外と言いながら、その『一般』とは何を指すのかが分からない」
という、実に曖昧で分からないことだらけのこの法律だが、
安倍首相自身も
「もうちょっとじっくり審議した方がよかったかも」
と後で漏らしたと聞いた。
もし、それが本当なら、自分たちが数の暴力でここまでやりたい放題できるということが
首相自身、未だピンときていなかったのかも知れない。
戦争を始めてから初めて(もう後戻りできないのか)と気づくようなものだ。
実に国民を舐めている。
国民は政府が何をやっても文句ひとつ言わないと信じきっているのだろう。

さて、その日の私の主な関心は、
何故この若いお坊さんが、今の日本の若者層としては珍しく
このような積極的行動に出たのかということだった。
岸野亮哉(きしの りょうさい)さんは、左京区専修寺(浄土宗)副住職。
イラク、ビルマ(ミャンマー)、スリランカなどにジャーナリスト・ビザで入国し、
取材を重ねた経歴を持つ。
それを聞いて(なるほど)と頷けた。
もちろん、取材に出かける感受性と意思、行動力が前提にあってのことだが、
それらの国々の人々の生活に接した時、骨身に沁みて分かることは、
言論の自由や、生命の危険に晒されることなく幸せに暮らす権利が
はく奪されているということだ。

スリランカで岸野さんが取材したのは反政府側の「タミルの虎」だったが、
そこでも撮影の制限は厳しく、あわやという場面もあったそうだ。
岸野さんは常に庶民の中に自分の身を置き、
あたかも近所づきあいをするように地元の人たちと接してきたことが
その話や映像から察せられた。
スクリーンに映し出されたスリランカの小さい女の子やおばちゃんたちの姿は
十年近く前のもので、岸野さんのカメラに向かって屈託なく笑っていた。
どうしているか心配でも、日本から彼女たちに手紙を出すことはできないという。
日本から手紙が届くということは即ち、
彼女たちの身を危険に晒すということだからだ。

ビルマ(ミャンマー)では岸野さんは、政治の話は一切するなと言われた。
アウンサン・スーチーさんが軟禁されている家の近くにも絶対行くな、
行ったら殺されるぞ、とも。
2007年9月、取材中のジャーナリスト、長井健司さんが殺され、
カメラは未だ戻ってこないのは衆知の通りだ。

これらの国々ではそんなことが普通だった。
そこで暮らす人々の生活を見てきた岸野さんが、特定秘密保護法に反対するのは、
至極当然の成り行きだろう。
言論の自由を制限することが国民にとってどれほど恐ろしいことか、
その実態をリアルに知っているからこそ、
四条大橋に立って道行く人々に訴えたのだと分かった。

また、その会に異色の30代前後の男性が参加していた。
彼は「国を守るためには戦争も辞さない」と考えている右派だと自分で言った。
彼の発言は、
「自分のような右派でもこの秘密保護法は言論の自由を制限する良くない法律だ。」
という趣旨だった。
(この人はわざわざ出かけて来るくらいだからふざけているわけでもないのだろうが、
戦争になったら言論の自由どころか生命を保持する自由だってないことが
なぜ分からないのだろう。あまりにも想像力が欠如している)と驚いたが、
こういう意見の人たちは日本にたくさんいるのも事実だ。
同じ若者でも、岸野亮哉さんとこの人は何故このように違ってくるのか。

分岐点は
「どこの国にも自分と同じ人間が、命を大切に思いながら一生懸命生活していること」
をリアルに想像できるか否かではなかろうか。
マジンガーZの話ではなく、現実であることに気が付くためにも、
異なる国の異なる民族を自分や自分の家族になぞらえてみることは効果がある。

以前、教師だった頃、
小学生に「もし、(相手について)自分だったらどう思う?」
とよく相手の立場でものごとを考えてみることを勧めたが、
同じことを「戦争も辞さない」論者たちに聞きたい。
大好きな人を思い起こし、そういう大切な人をどこの国の誰もが持っていると考えてみたら、
人間一人ひとりの存在の重みが少しずつイメージできるのではなかろうか。
そう、必要なのは他国の人々を具体的に想像し、イメージする力だ。

しかし、日本はまだかろうじてのどかだ。
こんな話し合いができるのだから。
これも日本国憲法第二十一条が
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由を保障する」と認め、
それを国民が互いに尊重し合っているからこそできるのだ。
自民党の改憲法案にはこの第二十一条の項目に
「公益及び公の秩序に反する活動は認められない」という付け足しがある。
「公益及び公の秩序に反する」とはこれまた曖昧であり、
言論の自由を制限する危険性を孕むものだ。

他の参加者から「どうやったらこの法律を廃止できるんですか。」という質問があった。
その答えはその質問者も含め、一人一人が自分で出さなければならない。
ポイントは『諦めない・忘れない』だと思う。
何でもすぐに諦め、すぐに忘れてきた日本人。
私たちに諦める自由はもはや残されていない。
何の責任もない次世代の子どもたちを戦争や言論統制の恐怖から、守らなければならない。
私たちの子どもらの命を簡単に安倍たちの「国」に差し出すわけにはいかない。
    2014年1月14日(火)記
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