夏目漱石の『満韓ところどころ』という文章がある。
非常に評判が悪い。
おそらく漱石の文章の中では最悪だろう。
あの魯迅が「漱石ですらこれだ」と嘆いたという。
「帝国主義的」「植民地主義的」視点が色濃いというのが主な評価である。
不勉強な私でも知っている中野重治、針生一郎など有名人が
厳しくこの『満韓ところどころ』を批判している。
一方、そうした批判を辿る過程で、
それとは異なる視点から漱石のアジア観を見る人もいることが分かった。
その一つで興味深かったのが、
三谷憲正の論文「夏目激石におけるアジア《朝鮮観》を視座として一一一」
SK00010L245.pdf (bukkyo-u.ac.jp)だ。
中野重治らの主張を
「“八百屋"へ行って“魚"を求め、売っていないと怒り出す客に似た立場」
と、妙に腑に落ちる表現で書いているのが楽しい。
私は、Aだと言われても額面通り受け取らない癖がついている。
幼い頃より、何でも真に受けてさんざん辛酸を舐めてきたからでもある。
卑近な例を挙げれば、
かつてウーマン村本が「選挙なんか意味ないし行くな。」と言ったことに対して
「ウーマン村本ってちょっとはマシなやつかと思ったけど、
そんなこと言うなんて最悪~。もう、絶対に彼は信用しない」
と真面目に怒る人がたくさんいた。
私はそれを鵜呑みにすることができず、
あれこれ村本の言説を調べたら、その発言意図は
たかまつななチャンネルの「若者よ選挙に行くな」とほぼ同じだった。
(ウーマン村本発言の方がたかまつより少し前だったと思う)。
(178) 若者よ、選挙に行くな 【2023年ver.】 - YouTube
まして、国家主義よりも価値あるものとして個人主義を挙げ、
死ぬまで執拗にこだわったあの夏目漱石、
そして、
『吾輩は猫である』と『倫敦塔』と『草枕』をほぼ同時に書いた
複眼的思考の持ち主のあの夏目漱石なのだ。
当然、用心深く、丁寧に、多面的に読まないとだめだろう。
『満韓ところどころ』批判の主張は主に次の二点だ。
①満鉄等日本帝国主義の大陸侵略を自然のものとして無批判に受け入れている。
②現地で見た苦力(クーリー)に対して上から目線で蔑視している。
『土』の長塚節は漱石の『満韓』を一読して「馬鹿にしとんか!」と怒鳴ったというが、
なんと漱石はその『土』の序文を書いているのである(まだ読んでないけど)。
漱石は深い。森鴎外も。
江戸末期から明治にかけては、これだから面白いと思う。
↓裏庭に生息するトカゲ。私の後をついてまわっているのかと思うほど人懐っこい。