何をやってしまったかというと,終電の乗り越し,タクシー帰宅です。今回はそれだけじゃなくて,コートの網棚置き忘れまで。おまけにコートには携帯が入っていたから始末が悪い。
この日は今シーズン3回目の忘年会。久しぶりに兄と兄の友人と飲みました。兄の友人は私が韓国滞在中,夫婦で遊びに来て,焼き肉屋を案内したことがあります。
最初は新橋の庶民的居酒屋。ビールで乾杯したあと,私は坐和民特選冷酒。兄たちは特選芋焼酎。私も冷酒が切れてからは焼酎に合流。
二次会はタクシーで職安通りに向かい,韓国バーで飲んだバカルディ151が良くなかった。75.5度のラム酒は,試みに灰皿に少々垂らして火をつけてみると,相当な時間炎を揚げ続けました。4分の3がアルコールなのだから当然です。
これをショットグラスにストレートで空けたあと,近くの韓国ダーツバーで今度はマッコルリ。今まで終電乗り越しは,決まってチャミスルが原因だったので,チャミスルだけは飲まないようにしていたのですが,甘かった。バカルディーの威力を見くびりました。
西武新宿線に乗り,兄が降りた東伏見までは警戒して席が空いても座らずに立っていたのですが,兄と別れてからの記憶がない。気づいたときはすでに乗り換えるべき所沢を3駅過ぎていた。そして新狭山のタクシー乗り場で妙に寒いと思ったら,コートを来てないではありませんか。
翌日が休日だったので,早速,朝,遺失物保管センターに電話をしてみると,それらしきコートはない。
(もしかして電車じゃなくて,店かな?)
店を出たときにコートを来ていたかどうかは,いくら考えても思い出せない。
(しかし飲み屋が開くのは夜だよなあ…)
念のため,携帯のほうは番号を止めてもらいました。コートに財布を入れていなかったのが不幸中の幸いです。財布には現金は少なかったもののカードが数枚あり,免許証も保険証も入っていますからなくしたら大変です。
昼過ぎにもう一度遺失物センターに電話してみると,候補が二つあり,別々の駅に保管されているとのこと。片方のコートにはポケットに携帯と現金が入っているとのこと。
(現金? ポケットに現金を入れる習慣はないが…)
それぞれの駅の電話番号を聞いて,自分で問い合わせることにしました。片方は,コートではなくジャンパーで,私のものではありませんでした。ここで,コートの内側に自分のネームを入れてあったことを思い出した。それが決め手となって,別の駅に保管されていたコートが私のものであることが確認できました。
(やれやれ)
保管されていたのは,私が乗った終電の終着駅である本川越。片道50分ぐらいかかります。最寄り駅で事情を話すと,小さな証明書をくれた。これを見せれば,本川越までの運賃を払わなくていいとのことです。
本川越で無事にコートと携帯が私の手に戻りました。ポケットに入っていたという現金2千円は,たぶん飲み屋の割り勘精算をしたときにねじこんだものでしょう。なんか得した気分です。
電話で対応してくれた西武鉄道の係の人も,保管所の人も,みな親切で感じがよかったです。
ここで思い出したのが,遥か昔,JRがまだ国鉄だったころの嫌な思い出です。
高校生だった私は多くない小遣いで買ったLPレコード(古い!)を京浜東北線の網棚に置き忘れた。幸い,見つかったけれども保管されているのは大宮。当時住んでいた大田区からは1時間以上かかる。もちろん,レコードが惜しいのではるばる出かけて行ったのですね。そして遺失物保管所に行くと,
「まずここまでの運賃を精算し,帰りの切符を買ってきてください。それがなければお渡しできません」
とのたもうじゃありませんか。
LPレコードは廉価版の1300円。往復の運賃はいくらだったか覚えていませんが,レコードの何十パーセントにはなったと思います。今,JRではどのような規則で運用しているのかわかりませんが,忘れ物をした不幸な人々から運賃をまきあげるというのはいかがなものか。
30年以上も前の出来事に,あらためて怒りがこみあげてきました。
この日は今シーズン3回目の忘年会。久しぶりに兄と兄の友人と飲みました。兄の友人は私が韓国滞在中,夫婦で遊びに来て,焼き肉屋を案内したことがあります。
最初は新橋の庶民的居酒屋。ビールで乾杯したあと,私は坐和民特選冷酒。兄たちは特選芋焼酎。私も冷酒が切れてからは焼酎に合流。
二次会はタクシーで職安通りに向かい,韓国バーで飲んだバカルディ151が良くなかった。75.5度のラム酒は,試みに灰皿に少々垂らして火をつけてみると,相当な時間炎を揚げ続けました。4分の3がアルコールなのだから当然です。
これをショットグラスにストレートで空けたあと,近くの韓国ダーツバーで今度はマッコルリ。今まで終電乗り越しは,決まってチャミスルが原因だったので,チャミスルだけは飲まないようにしていたのですが,甘かった。バカルディーの威力を見くびりました。
西武新宿線に乗り,兄が降りた東伏見までは警戒して席が空いても座らずに立っていたのですが,兄と別れてからの記憶がない。気づいたときはすでに乗り換えるべき所沢を3駅過ぎていた。そして新狭山のタクシー乗り場で妙に寒いと思ったら,コートを来てないではありませんか。
翌日が休日だったので,早速,朝,遺失物保管センターに電話をしてみると,それらしきコートはない。
(もしかして電車じゃなくて,店かな?)
店を出たときにコートを来ていたかどうかは,いくら考えても思い出せない。
(しかし飲み屋が開くのは夜だよなあ…)
念のため,携帯のほうは番号を止めてもらいました。コートに財布を入れていなかったのが不幸中の幸いです。財布には現金は少なかったもののカードが数枚あり,免許証も保険証も入っていますからなくしたら大変です。
昼過ぎにもう一度遺失物センターに電話してみると,候補が二つあり,別々の駅に保管されているとのこと。片方のコートにはポケットに携帯と現金が入っているとのこと。
(現金? ポケットに現金を入れる習慣はないが…)
それぞれの駅の電話番号を聞いて,自分で問い合わせることにしました。片方は,コートではなくジャンパーで,私のものではありませんでした。ここで,コートの内側に自分のネームを入れてあったことを思い出した。それが決め手となって,別の駅に保管されていたコートが私のものであることが確認できました。
(やれやれ)
保管されていたのは,私が乗った終電の終着駅である本川越。片道50分ぐらいかかります。最寄り駅で事情を話すと,小さな証明書をくれた。これを見せれば,本川越までの運賃を払わなくていいとのことです。
本川越で無事にコートと携帯が私の手に戻りました。ポケットに入っていたという現金2千円は,たぶん飲み屋の割り勘精算をしたときにねじこんだものでしょう。なんか得した気分です。
電話で対応してくれた西武鉄道の係の人も,保管所の人も,みな親切で感じがよかったです。
ここで思い出したのが,遥か昔,JRがまだ国鉄だったころの嫌な思い出です。
高校生だった私は多くない小遣いで買ったLPレコード(古い!)を京浜東北線の網棚に置き忘れた。幸い,見つかったけれども保管されているのは大宮。当時住んでいた大田区からは1時間以上かかる。もちろん,レコードが惜しいのではるばる出かけて行ったのですね。そして遺失物保管所に行くと,
「まずここまでの運賃を精算し,帰りの切符を買ってきてください。それがなければお渡しできません」
とのたもうじゃありませんか。
LPレコードは廉価版の1300円。往復の運賃はいくらだったか覚えていませんが,レコードの何十パーセントにはなったと思います。今,JRではどのような規則で運用しているのかわかりませんが,忘れ物をした不幸な人々から運賃をまきあげるというのはいかがなものか。
30年以上も前の出来事に,あらためて怒りがこみあげてきました。
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