『一般言語学講義』を編修したバイイとセシュエは、後の研究者たちから「講義」を改竄したかのような言われ方をしていますが、それは少し酷な気がします。
二人は意図的に改竄しようという気持ち毛頭なく、逆にソシュールの講義内容をできるだけ忠実に後世に残そうとしたのだと思います。
方法は二つありました。
一つは、講義の順序通りに再現する方法。もう一つは講義内容を素材として全体を体系的にまとめる方法です。
バイイとセシュエは後者を選択しました。その理由は、講義が都合4年半にわたって行われ、その過程でソシュール自身が考えを深めていったため、講義前半と後半では同じ概念に対する用語や説明が変わっていったことにあると考えられます。
そのため、バイイとセシュエは最後の講義(第三回)の内容を中心に、必要に応じて第一回、第二回の内容を挟み込んで、一冊の本になったときの統一をとったわけです。
素材の問題もありました。
一つは講義よりもかなり以前にしたためられたソシュール自身の手稿、もう一つは学生のノートです。100年も前のことですから、講義を録音するなどという方法はなく、学生たちのノートは実際のノートを忠実に再現するものではありませんでした。相原/秋津訳の『第二回講義』には、同じ講義について二人のノート(リードランジェとパトワ)が訳出されていますが、その内容には大きな差があります。その差は、どこまで詳細にノートをとろうとするか、という姿勢の違いと、講義内容に対する理解度の差にあると思われます。
では、ソシュール自身の講義ノートをもとにすればよいのか。
相原/秋津訳『第一回講義』には小松英輔の「エングラー版批判」という論考が載っており、その中に1911年5月30日のソシュールの講義ノートと、同じ講義についてのコンスタンタンのノートがフランス語原文のまま掲載されています。この二つの差も決して小さくはありません。
小松氏はこの資料から、実際の講義の流れを推測していますが、ソシュールはしばしば用意していた講義ノートから離れて持論を述べ、またあるときは講義ノートを読み上げていたようです。読み上げられた部分については、学生のノートの内容とよく一致しています。
もしも当時ボイスレコーダーが、あるいはビデオがあったら、ソシュールが板書した図なども含めてもっと忠実な講義の記録が残ったことでしょう。ただ、仮にビデオ映像が残っていたとしても、それを実際に書籍にするのは決して簡単な作業ではありません。
私は同じような作業をした経験がありますが、講義における話し言葉を、後でほかの人が読んでよくわかるようにまとめるのは相当な技術がいります。
話言葉は、完全な文章になっていない場合も多く、一度言ったことを別の言葉に言いなおしたりするケースもしばしばです。文章化するときはそのような話し言葉特有の乱れや冗語を整理する必要があり、そのときに筆耕者の解釈が加わることは避けられません。
学生たちは、必死で師の言葉を理解しようとし、頭の中で自分なりにまとめてノートに書き留めます。しかし、所詮学生ですから、理解度には限界がある。まして、19世紀までの知に変革をもたらした最先端の思想ですから、聞いてすぐには理解できない内容があって当然です。
学生よりは専門的な知識があったはずのバイイやセシュエの目には、学生たちが犯した初歩的な解釈ミスも目についたことでしょう。そのようなこともあって、講義を書籍化するにあたり、学生たちのノートをそのまま出版することはせず、自分の解釈も交えて再構成したのだと思われます。
そして、ソシュールの手稿や学生たちの手書きのノートを判読し、清書する作業も、並大抵のことではなかったにちがいありません。
二人の編者は、丸山圭三郎の批判以来、悪者扱いされがちですが、二人にとって少々気の毒なことではあります。
最新の画像[もっと見る]
- 尹大統領・与党、支持率回復の怪 2日前
- 幻のダイヤモンド富士 2日前
- 幻のダイヤモンド富士 2日前
- 中国系ロマンス・投資詐欺の手口⑥ 4日前
- 中国系ロマンス・投資詐欺の手口⑤ 5日前
- 中国系ロマンス・投資詐欺の手口⑤ 5日前
- 中国系ロマンス・投資詐欺の手口⑤ 5日前
- 中国系ロマンス・投資詐欺の手口⑤ 5日前
- 中国系ロマンス・投資詐欺の手口⑤ 5日前
- 中国系ロマンス・投資詐欺の手口⑤ 5日前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます