犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

スマホの買い替え

2023-01-12 23:07:05 | 日々の暮らし(2021.2~)

 長い間使っていたiPhone7の調子が悪くなり、購入したauショップに持っていくと、古すぎて修理できないし、サービスも間もなく終了すると言われました。

 記録を調べると、今のスマホは5年9か月前に購入したということでした。

(そろそろ替え時だなあ)

 私が携帯電話を使うようになったのは、韓国駐在中の1997年頃でした。

 日本では携帯電話もポケベルも使ったことがありませんでした。

 携帯電話(らしきもの)を最初に見たのは、1980年代末、有名な自動車評論家、徳大寺有恒さんにベントレーに載せてもらったとき。徳大寺さんは、道が渋滞している間、ベントレーについていた車載電話で雑誌の編集部と電話をしていました。

ベントレーの思い出

 携帯電話が普及し始めたのは1990年代。最初は通話専用でした。個人的にはもちろん、業務においても移動中に通話する必要はないので、買いませんでした。

 韓国に駐在してからも、さして必要性は感じませんでしたが、会社から社用の携帯電話が支給されたので所持することに。

 値段は相当高くて、大きさも大きかった。モトローラ製で、背面に長時間バッテリーをつけるとワイシャツの胸ポケットに入らなかった記憶があります。

 韓国では携帯を持つことがステータスになりました。

 韓国人は通勤するとき、かばんを持たない人が多いのですが、携帯電話を片手に握ってこれみよがしに闊歩する人をよく見かけました。

 迷惑なのは、地下鉄やバスの中で大声で通話する人の多いこと。これも「おれは携帯を持ってるんだぞ、えらいんだぞ」というアピールだったんでしょう。

 携帯が小型化、低価格化されると、韓国でも一気に普及が広がりました。「携帯を持たない人は、人にあらず」という雰囲気で、私もLGの廉価な携帯を購入しました。使ったのは、主に文字メッセージ(Cメール?)で、待ち合わせに遅れそうなときの連絡に重宝しました。液晶画面がついていましたが、白黒で、ゲームも少なかったと思います。

 韓国で二台目の携帯はサムソンのanycall。液晶画面がカラーでしたが、インターネットの使用は限られていました。

 2007年に日本に帰任したとき、どんな携帯を買ったのかよく覚えていません。帰任直後に日本で昼食をとっていて、韓国の飲み屋から電話がかかってきたことを覚えていますから、持っていたことは確かです。まだスマートフォンは出ていなかったので、ガラケーを使っていたんでしょう。

 そして今回調子が悪くなったiPhoneに買い換えたのが2017年頃。

 インターネットの使い勝手からして、スマホはケータイとは別物でした。各種SNSや動画サイト、写メ、ニュース、ちょっとした調べものに大いに利用し、もはやスマホなしでは生活できないほどです。

 今回、最初に勧められたのは、iPhoneの最新モデル。でも、とんでもなく高いし、性能や機能も過剰に感じました。ネットなどで型落ちや中古を買う手もありましたが、同じ販売店で扱っているアンドロイドにすることに。グーグルのピクセルという機種が、値引きが大きくてお買い得だったので、それに決めました。

 いちばんよく使っているアプリがLINE。OSが変わると過去メッセージが保存できないと言われましたが、ネットで調べると、「簡単にできる」というアプリがありました。

 指示に従って、前のスマホをPCに接続し、データを移行し、新しいスマホをつないで、あとはワンクリックするだけというところまできて、「以降の作業をするためには〇〇ドルお支払いください」というメッセージがでてきました。

(おいおい、有料なんてどこにも書いてなかったじゃないか!)

 そのアプリを調べてみると、中国製で、ネットの評判は極めて悪い。詐欺サイトに近いですね。

 まあ、過去メッセージをすべて保存する意味もそんなにないし、最近2週間ほどのデータは特別に手間をかけずに移行できたので、問題はないのですが。

 iPhoneとアンドロイドでは、基本操作がけっこう違うのでとまどいますが、慣れの問題でしょう。ちょっと大型化して、片手で扱いにくくなったのが、多少不便です。

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