犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

ミャンマー便り~日本語学校

2015-08-29 23:44:08 | ミャンマー

 翌日は、某独立行政法人へ行って、ミャンマーにおけるビジネスについてブリーフィングを受けることになっていました。

 場所は、ホテルから近い。地図を持ってホテルのフロントで聞いてみました。

「近いですよ。10分ぐらいです」

「タクシーで?」


「いえ、歩いて」


「ランシャウ トワー フナイン ダラー?」(歩いて行けるんですか?)

「フナインデー」(行けますよ)


 その言葉を信じ、歩き始めたら、本当に10分で着いてしまいました。アポイントの時間まで、1時間もあります。周囲に喫茶店らしきものは見当たらないので、訪問先の入っているビジネスセンターに入ったところ、幸いコーヒーショップがありました。ところが、店は窓が開放されていて、クーラーが効いてないのですね。

 日も高くなり、気温は30度をはるかに越えています。

 アイスコーヒーを飲み終わり、少し早いけれども、訪ねていくと、予定より前倒しで始めてもらうことができました。

 仕事の話が終わり少し雑談をしました。

「昨日、屋台でモンヒンガーを食べたんですよ」

「それは危ない! 私はミャンマーに20年住んでいますが、屋台には一度も行ったことがありません」


 前日の私の行為は相当に無謀だったようです。

 事務所を出ると、小雨がぱらついています。傘なしでは歩けないくらい本降りになったころ、一軒の日本風レストランがあったので、入りました。

「いらっしゃいませ」

 店員は全員ミャンマー人ですが、日本語ができるようです。メニューもぜんぶ日本風。

「カツカレーとサラダ」

「かしこまりました」


 店に備え付けの日本語の情報誌をめくりながら昼食をとり、食べ終わったあとはバルコニー席に移って、たばこを吸いながらコーヒーを飲みました。しめて10000チャット(1000円)。日本並みの価格です。

 次の訪問先の場所について、店員に聞いてみました。

「それほど遠くないですよ」

「タクシーで3000チャット(300円)ぐらい?」


「いえ、そんなにかかりません。私が交渉してあげますよ」


 流しのタクシーを止めようとしている間、少しおしゃべりをしました。

「日本語うまいですね。日本に行ったこと、あるんですか」

「いえ、ありません」


「日本語はどこで習いましたか」


「僧院です」


 僧院! 

 
そういえば、私が東京で習っていたミャンマー語の先生も、日本に来る前に僧院で日本語を習ったと言っていました。

 僧院では、ほとんどボランティアで教えてくれる先生がいて、正式な学校に通えない貧しい家庭の子弟に初等教育を施したり、大人に外国語を教えているんだそうです。

 その店員さんのおかげで、タクシー料金の交渉は2500チャット(250円)で成立。次の取材先に向かいました。

 コンドミニアムという名の大きなビルディングが二つ並んでいて、一階には商店や語学学校、上の会には会社の事務所が入っています。一般の住居もあるのかもしれません。

 仕事が終わったあと、一階の商店街を回っていると、

「ミャンマーに来たなら、ミャンマー語を勉強しよう! 生徒募集中」

という、日本語の看板がありました。ぼくはミャンマーに住んでいるわけではないけれど、おもしろそうなので、ちょっと話を聞いてみることにしました。

 ミャンマー語教育は片手間で、メインは日本語学校のようです。

 受付にいた女性(校長先生かもしれません)に、ミャンマー語について聞いてみると、

「あ、あれですね。実は宣伝はしてるんですが、まだ始まってないんです。生徒が集まったら始めようかと思って」

 流暢な日本語で答えてくれました。

「先生はいるんですか」

「それもまだです」


「……」


 日本をはじめ、外国の企業が続々とヤンゴンに事務所を開くので、ミャンマー語学習の需要を見越して新しくミャンマー語のコースを始めるらしい。

「日本語学校のほうは、長くやってるんですか」

「いえ、1年ぐらいです」


新幹線』っていうのが、学校の名前ですか?」


「はい、新幹線みたいに早く日本語がマスターできるという意味で」


 この辺の感性は、日本人には多少違和感があります。

 先生は、日本に留学したことがあるらしく、日本語は流暢。通訳や翻訳の仕事もあるだろうけれど、日本語学校で勝負に出た、というところでしょうか。

 バンコク行きのフライトは夕方。まだ時間があるので、ヤンゴン大学にも行ってみました。

 ヤンゴン大学はミャンマーの最高学府、かのボージョー・アウンサン(アウンサン将軍)も学んだというから、創設はイギリスの植民地時代に遡るのでしょう。

 8888民主化運動(1988年8月8日)では、反政府運動の拠点となり、徹底した弾圧が加えられました。広大は敷地に校舎が点在し、校舎間の移動は車がほしくなるほど。月曜日なのにキャンパスは閑散としていて、学生の姿はあまり見られません。

 ふたたび雨が降り出し、幸い構内を流していたタクシーがいたので、それに乗って空港に向かいました。

 たった二日間の滞在でしたが、ミャンマーの国情を知るのに大変有益でした。


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