韓国のウォンは,円より桁が一つ大きい。そして最高額紙幣が1万ウォン(日本円で1100円程度)なので,現金を持ち歩く場合,どうしても財布が分厚くなります。1ウォンの単位は現実には使われていないのだから,デノミをすればいいのにと思いますが,そのような動きはない。一時は,額面10万ウォンの小切手が広く流通していました。
その後,カード社会になったので,あまり使わなくなりましたが。ここにきて,高額紙幣の発行が決まりました。
10万ウォンと5万ウォン。10万ウォン紙幣の肖像は,独立志士の金九,5万ウォンは申師任堂です。
金九は,韓国では一貫して日本の植民地支配に抵抗し,解放後も統一朝鮮の独立に向けて努力した人として,国民から等しく敬愛を受けています。ただ,日本では彼の経歴について問題視する人々もいる。
金九が若き日に日本人を殺害したのですが,韓国の資料ではそれが日本の支配に対する「義挙」とされ,日本の資料では単なる「強盗殺人」になっています。
同じ人物に対して,それぞれの国の立場から,違う見方が生じてしまうのはある意味で仕方がないことかもしれません。
日本でも2004年に紙幣の切り換えが行われ,1000円札には野口英世が選ばれました。野口英世の伝記は,私が小学校のときの国語教科書にもあったと思います。囲炉裏で大火傷を負ったことをきっかけに,医学の道を志したこと。ノーベル賞級の業績を挙げながら,人種的偏見によって賞がもらえなかったなどという話も聞いたことがあります。
私は,猪苗代湖畔の「野口英世記念館」で,お母さんのシカが英世に宛てた手紙を読み,涙したことがあります。ところが,野口英世が研究生活を送っていたアメリカでの評価は,どうも違うらしい。
最近読んだ『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著,講談社現代新書,2007年)によれば,野口英世のいたロックフェラー大学の2004年6月の定期広報誌に,次のような記述があったそうです。
ロックフェラーの創成期である20世紀初頭の23年間を過ごした野口英世は,今日,キャンパスではほとんどその名を記憶するものはない。彼の業績,すなわち梅毒,ポリオ,狂犬病,あるいは黄熱病の研究成果は当時こそ賞賛を受けたが,多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった。その後,間違いだったことが判明したものもある。彼はむしろヘビイ・ドリンカーおよびプレイボーイとして評判だった。結局,野口の名は,ロックフェラーの歴史においてはメインチャプターというよりは脚注に相当するものでしかない。
なんでも,野口英世が千円札の肖像に選ばれてから,ロックフェラー大学の図書館の二階にある野口英世の銅像の写真をとろうと,カメラをぶらさげた日本人観光局がおしよせるようになったのだそうです。それで迷惑した大学側が野口英世を皮肉ったもののようです。
なお,野口英世の名誉のために書いておくと,「狂犬病や黄熱病の病原体は当時まだその存在が知られていなかったウイルスによるもの」で,ウイルスはあまりに微小すぎて,英世が使っていた顕微鏡では観察不可能だったため,「病原体発見」という誤った研究発表をしてしまったということのようです。
それはともかく,『生物と無生物のあいだ』(サントリー学芸賞)は分子生物学の歴史をスリリングに描いた快著です。ぜひ,ご一読を。
その後,カード社会になったので,あまり使わなくなりましたが。ここにきて,高額紙幣の発行が決まりました。
10万ウォンと5万ウォン。10万ウォン紙幣の肖像は,独立志士の金九,5万ウォンは申師任堂です。
金九は,韓国では一貫して日本の植民地支配に抵抗し,解放後も統一朝鮮の独立に向けて努力した人として,国民から等しく敬愛を受けています。ただ,日本では彼の経歴について問題視する人々もいる。
金九が若き日に日本人を殺害したのですが,韓国の資料ではそれが日本の支配に対する「義挙」とされ,日本の資料では単なる「強盗殺人」になっています。
同じ人物に対して,それぞれの国の立場から,違う見方が生じてしまうのはある意味で仕方がないことかもしれません。
日本でも2004年に紙幣の切り換えが行われ,1000円札には野口英世が選ばれました。野口英世の伝記は,私が小学校のときの国語教科書にもあったと思います。囲炉裏で大火傷を負ったことをきっかけに,医学の道を志したこと。ノーベル賞級の業績を挙げながら,人種的偏見によって賞がもらえなかったなどという話も聞いたことがあります。
私は,猪苗代湖畔の「野口英世記念館」で,お母さんのシカが英世に宛てた手紙を読み,涙したことがあります。ところが,野口英世が研究生活を送っていたアメリカでの評価は,どうも違うらしい。
最近読んだ『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一著,講談社現代新書,2007年)によれば,野口英世のいたロックフェラー大学の2004年6月の定期広報誌に,次のような記述があったそうです。
ロックフェラーの創成期である20世紀初頭の23年間を過ごした野口英世は,今日,キャンパスではほとんどその名を記憶するものはない。彼の業績,すなわち梅毒,ポリオ,狂犬病,あるいは黄熱病の研究成果は当時こそ賞賛を受けたが,多くの結果は矛盾と混乱に満ちたものだった。その後,間違いだったことが判明したものもある。彼はむしろヘビイ・ドリンカーおよびプレイボーイとして評判だった。結局,野口の名は,ロックフェラーの歴史においてはメインチャプターというよりは脚注に相当するものでしかない。
なんでも,野口英世が千円札の肖像に選ばれてから,ロックフェラー大学の図書館の二階にある野口英世の銅像の写真をとろうと,カメラをぶらさげた日本人観光局がおしよせるようになったのだそうです。それで迷惑した大学側が野口英世を皮肉ったもののようです。
なお,野口英世の名誉のために書いておくと,「狂犬病や黄熱病の病原体は当時まだその存在が知られていなかったウイルスによるもの」で,ウイルスはあまりに微小すぎて,英世が使っていた顕微鏡では観察不可能だったため,「病原体発見」という誤った研究発表をしてしまったということのようです。
それはともかく,『生物と無生物のあいだ』(サントリー学芸賞)は分子生物学の歴史をスリリングに描いた快著です。ぜひ,ご一読を。
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