韓国語でデパートのことをペッカジョム(百貨店)と言います。日本語では,百貨店という言葉,少し古めかしい気がします。
韓国に百貨店が導入されたのが日帝時代。日本から進出した大手百貨店,三中井の盛衰を扱った本を,以前紹介したことがあります(→リンク)。
さて,去る大型連休の前半,犬鍋家の一族は新宿のホテルのバイキングで食事(もっともわが家は夫婦だけ)。
その帰り,通り道の池袋で閉店セールの最中の三越池袋店に寄りました。伊勢丹との合併の影響か,不採算店は次々に閉店されるようです。いかな三越といえども,駅に隣接した西武・東武の巨大デパートに押され,売上が低迷していたのでしょう。
ホテルでの食事帰りでしたので,いちおうきちんとした服装をしていた。15年ほど前,韓国で発行された初級韓国語のテキストに,
양복을 입고 백화점에 갑니다.
ヤンボグル イプコ ペッカジョメ カムニダ
(洋服を着て百貨店へ行きます)
という例文があったことを思い出しました。
ヤンボクは漢字で書けば「洋服」ですが,日本語の洋服とはニュアンスが違う。「正装,スーツ」という意味です。
韓国語でクドゥと言えば,日本語の「くつ」が起源ですが,「くつ」の総称ではなく,「革靴」を意味するのと似ている。
スーツを着て,デパートに行きます。
(デパートにスーツ?)
と思ったものですが,韓国人の先生に聞いてみると「普通でしょ?」とのこと。当時の韓国人は,デパートはおしゃれをして出かける「ハレ」の場所だったようです。実際,韓国のデパートでは,着飾った人の比率が多かった。
日本も,昭和40年代ごろまではそんなイメージがあったでしょうか。東京の郊外に住んでいた私は,近場の駅ビルに行くのと違って,銀座や日本橋の三越に行くときは,やはり「お出かけ用」の恰好をさせられたような気がします。
さて,池袋三越。
混んでいる!
「閉店セール」を目あてにしたお客さんでごった返しています。この混雑を見てファイトが出てくるアジュンマもいましょうが,私はダメです。正面玄関を入ったとたんにどっと疲れてしまいました。
「ちょっと一服してくる」
妻と義姉を雑踏の中に残して,一人屋上へ向かいます。エスカレーターで上がりながら買い物客を観察すると,年配の方々が多いのは老舗三越だからでしょう。「三越」というブランドは,中高年に威力を発揮するようです(→リンク)。
デパートの屋上といえば,ペットショップ? ゲームセンター? と思いきや,あるのは自動販売機とベンチだけ。私と同じような境遇のお父さんたちがたばこをくゆらせていました。
かつて,李箱(イサン)作『翼』の主人公は,日帝支配下のソウルで,売春婦である内縁の妻のヒモという状態から抜け出すため,三越京城店の屋上から「飛翔」することを夢見ました。
三越池袋店の屋上は「転落/自殺」防止のためか,鉄条網つきの高い金網に囲まれているのも興醒めです。
ソウル市庁の取り壊しが決まった今,旧三越(現新世界百貨店本店)は,植民地時代の数少ない遺物になっています。
私が帰任する直前に,よく新世界のデパ地下に通いましたが,「普段着」の人が多かったような気がします。やはり時代の変化でしょうか。
韓国に百貨店が導入されたのが日帝時代。日本から進出した大手百貨店,三中井の盛衰を扱った本を,以前紹介したことがあります(→リンク)。
さて,去る大型連休の前半,犬鍋家の一族は新宿のホテルのバイキングで食事(もっともわが家は夫婦だけ)。
その帰り,通り道の池袋で閉店セールの最中の三越池袋店に寄りました。伊勢丹との合併の影響か,不採算店は次々に閉店されるようです。いかな三越といえども,駅に隣接した西武・東武の巨大デパートに押され,売上が低迷していたのでしょう。
ホテルでの食事帰りでしたので,いちおうきちんとした服装をしていた。15年ほど前,韓国で発行された初級韓国語のテキストに,
양복을 입고 백화점에 갑니다.
ヤンボグル イプコ ペッカジョメ カムニダ
(洋服を着て百貨店へ行きます)
という例文があったことを思い出しました。
ヤンボクは漢字で書けば「洋服」ですが,日本語の洋服とはニュアンスが違う。「正装,スーツ」という意味です。
韓国語でクドゥと言えば,日本語の「くつ」が起源ですが,「くつ」の総称ではなく,「革靴」を意味するのと似ている。
スーツを着て,デパートに行きます。
(デパートにスーツ?)
と思ったものですが,韓国人の先生に聞いてみると「普通でしょ?」とのこと。当時の韓国人は,デパートはおしゃれをして出かける「ハレ」の場所だったようです。実際,韓国のデパートでは,着飾った人の比率が多かった。
日本も,昭和40年代ごろまではそんなイメージがあったでしょうか。東京の郊外に住んでいた私は,近場の駅ビルに行くのと違って,銀座や日本橋の三越に行くときは,やはり「お出かけ用」の恰好をさせられたような気がします。
さて,池袋三越。
混んでいる!
「閉店セール」を目あてにしたお客さんでごった返しています。この混雑を見てファイトが出てくるアジュンマもいましょうが,私はダメです。正面玄関を入ったとたんにどっと疲れてしまいました。
「ちょっと一服してくる」
妻と義姉を雑踏の中に残して,一人屋上へ向かいます。エスカレーターで上がりながら買い物客を観察すると,年配の方々が多いのは老舗三越だからでしょう。「三越」というブランドは,中高年に威力を発揮するようです(→リンク)。
デパートの屋上といえば,ペットショップ? ゲームセンター? と思いきや,あるのは自動販売機とベンチだけ。私と同じような境遇のお父さんたちがたばこをくゆらせていました。
かつて,李箱(イサン)作『翼』の主人公は,日帝支配下のソウルで,売春婦である内縁の妻のヒモという状態から抜け出すため,三越京城店の屋上から「飛翔」することを夢見ました。
三越池袋店の屋上は「転落/自殺」防止のためか,鉄条網つきの高い金網に囲まれているのも興醒めです。
ソウル市庁の取り壊しが決まった今,旧三越(現新世界百貨店本店)は,植民地時代の数少ない遺物になっています。
私が帰任する直前に,よく新世界のデパ地下に通いましたが,「普段着」の人が多かったような気がします。やはり時代の変化でしょうか。
アオリの下に写っていた写真は両親と兄妹の親子4人の姿なんですが、見た途端に図書館内で笑いが止まらない状況になり顰蹙を買いました。
要は『家庭でくつろいでテレビジョンを見ましょ』と言う事らしいんですが、子供二人と母親はどう見ても『これから銀座でお買い物』といういでたち。若くてきれいな母親は真珠のネックレスまでしてました。母親に比べて結構年食った父親はスーツで正装して更に葉巻まで手にしてました。
つまり昭和30年代にテレビジョンを見る為には
・テレビを観る時は正装しなきゃいけない。
・親父は葉巻をくぐらせながら観なきゃいけない。
・日常で葉巻をくぐらす事ができる程財力が無くちゃいけない。
どこのトンネルをおくぐりになられるのですか
年末,コストコに行ったとき,入場制限で会場整理の不手際もあり,群衆の間に不穏な空気が流れ始めたので,入場をあきらめたことがあります。
その「テレビジョン」は,もしかして「観音開き」だったのでは?!
登場したときは,「テレビ」ではなく「テレビジョン」だったのですね。
韓国では,当初日本式略語の「テレビ」が普及していましたが,「醇化対象語」に指定され,今では「テレビジョン」または「TV」が定着しています。