犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

五月の蠅

2014-05-30 23:52:00 | 日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)


 5月のある日曜日、90歳の伯母と昼御飯を食べていたときのこと。

「最近、虫が少ないわね」

「蚊はこれからでしょう」


「昔は五月といえば、蝿がぶんぶん飛んでたものよ」


「うるさいは、五月蝿いって書くね」


 五月蝿いを「うるさい」と読むことを私が覚えたのは、小学校六年生のときに読んだ、夏目漱石の「吾輩は猫である」だったような。

「水溜まりもないし、肥溜めもないし、便所も水洗になったからね」

 子供の頃の記憶が蘇ります。

 わが家には棕櫚の木があって、棕櫚の葉で作った自家製の蝿叩きが常備されていました。小学生だった私は、その蝿叩きをもって、ちゃんばらよろしく、よく蝿を叩いたものでした。

 家の中の蝿をとりつくすと、蝿を求めて庭に出ました。子供の頃、庭で番犬を飼っていて、庭には犬が排出した固形物がごろごろしていたので、蝿には事欠きませんでした。

 そのうち、蝿の死骸で遊ぶことを覚えました。

 の巣の近くに落とし、蟻が巣穴に蝿を運んでいくのを観察したり。

 庭の片隅に網を貼っている女郎蜘蛛の巣に蝿をひっかけ、蜘蛛が尻から出す糸で蝿をぐるぐる巻きにするのを観察したり。

 蟷螂(かまきり)がいれば、蝿の死骸を糸でつるして蟷螂の鼻先にぶらさげ、鎌でかかえこむ様子、食べる様子を観察したり。蟷螂が蝿を食べるときに、カリカリと音がするのは驚きでした。

 もっと面白かったのが、庭の主である(ひきがえる)。蟇の目というのは、動いているものしか捉えることができないんだそうですね。それで、糸で吊るしてそっと近づけても反応しない。ぶらりぶらりと動かしてやると、突然機敏になり、長い舌を出して瞬く間に捕食します。

 わが家の庭は、ちょっとした野生の王国でした。

 そのうちに、死んだ蝿では面白くなくなって、半殺しで生け捕りにする技術も身につけたりしました。蝿にも種類があって、イエバエ、ギンバエ、ショウジョウバエ…。

 「兎の眼」という小説に、蝿を集めている少年が出てきましたから、昔は私のように蝿で遊ぶ少年も少なくなかったのかもしれません。

 でも、小学校の「グループ日記」(班で一冊のノートに毎日交替で日記を書くやつ)に、この蝿の遊びのことを書いたら、友だちに笑われ、父兄の間にも広まって、母が恥ずかしい思いをしたそうです。

 今や、蝿も、蜘蛛も、蟷螂も、蟇も滅多に見なくなり、母も世を去りました。

 五月の蝿のいない静かな食卓で、90歳の伯母と会話しながら、時の流れをしみじみと実感したのでありました。


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4 コメント

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棕櫚 (犬鍋)
2014-06-03 00:50:12
なんと、今も売っているようです。

http://takada1948.jp/products/detail.php?product_id=39
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山村留学! (犬鍋)
2014-06-03 00:49:35
そんなのがありましたか。

いい経験をされましたね。

>鶏の生肉

そんな方法があったとは!
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Unknown (元某延世大留学生)
2014-06-02 12:46:50
棕櫚の葉のハエたたきなんてあるんですね。初耳です。70年代初め、浜松に住んでいた頃は家にちょっとした庭があって、私も犬鍋さんみたいに、虫を半殺しにして、アリにたくさんエサを供給してやった覚えがあります。
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Unknown (belbo)
2014-06-02 11:06:49
私は今30過ぎで、小さな頃からマンション暮らしだったので、
蝿溢れる暮らしには縁遠かったんですが、
小学生の頃に山村留学で1年間田舎生活をしていました。

当時夏頃、ホームステイ先の家の裏庭に大きな女郎蜘蛛がいて、
こいつをやたらと可愛がっていました。
時々こっそりと鶏の生肉を巣の近くに置いて小蝿を湧かせ、
大量に餌を供給したりしていました。
「お前らも繁栄するんだから、許せ」と言い訳しながら、
蜘蛛がせっせと吸い取る様子を眺めていたのを思い出しました。

あるいは同じ山奥で、毎年のことらしいのですが、
窓一面が覆われるほど羽アリが大量発生したりもしました。
移植ゴテですくって鯉の池に放り込むのですが、
あまりの多さに、最初は飛びついた鯉も食べきれず、
また翌朝には水面に油のようなものが浮いていました。

懐かしい思い出が揺り起こされました。
ありがとうございます。
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