犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

ジャガイモ、はるかな旅④~日本

2022-08-02 06:50:13 | 食べる
図版:農水省「農産物探検隊」より

 日本にジャガイモがもたらされたのは、一説によれば1598年だということです。

 スペイン人がインカ帝国を滅ばしたのが1533年、ジャガイモをヨーロッパに持ち込んだのが1570年であることを考えると、日本に伝わったのはけっこう早い。

 また、ヨーロッパで食用として活用され始めたのが三十年戦争(1618~48)ということですから、最初は食用ではなく、外国の珍しい観葉植物として受け止められたのかもしれません。

 もっとも、芋類を食べる習慣のなかったヨーロッパに比べ、アジアにはタロイモや里芋などがありましたから、ヨーロッパよりも早く食用にしていた可能性はありますが。

 日本にジャガイモを持ち込んだのはオランダ人。

 16世紀、オランダは、神聖ローマ帝国の一部でしたが、宗主国のスペインとの間で独立戦争を戦い、大航海時代にはインドへの新航路を発見して、インドネシアを中心に「海上帝国」を築き上げつつありました。

 1598年というのは、オランダが現在のインドネシアのジャワ島に最初の商館を設置した年。同じ年に日本にやってきて、ジャガイモをもたらしたことになります。

 でも、当時の日本は戦国時代が終わり、秀吉が日本を統一していた時代。秀吉は海外への進出をもくろみ、1592年と97年には朝鮮を侵略しています。

 それに先立つ1587年、秀吉は「バテレン追放令」を出して、キリスト教布教と南蛮貿易を禁止しています。

 秀吉は1598年に死去していますから、その混乱に紛れてオランダ船が日本にやってきたのかもしれません。

 ジャガイモの語源はジャガタライモで、ジャワ島のジャガトラ(ジャカルタの旧名)から来たので、「ジャガタライモ」と呼ばれ、それが転じて「ジャガイモ」になったという説があります。

 ジャガイモは飢饉のときに栽培されたという記述もありますが、その少し後に琉球から伝わったサツマイモ(やはり南米原産)のほうが救荒作物としては優れていたんじゃないでしょうか。

 18世紀末には、ロシア経由で北海道、東北地方にジャガイモが導入されたとか、1833年の天保の大飢饉のときにジャガイモ栽培が奨励されたとの記録もあるようです。

 しかし、現在のジャガイモ生産に直接つながるのは、明治時代の北海道開拓のときに、アメリカから導入された「男爵芋」だということです。

 つまり、ジャガイモの伝来ルートは、

① ペルー→スペイン→オランダ→インドネシア→日本(17世紀初め)

② ペルー→スペイン→ドイツ→ロシア→日本(18世紀?)

③ ペルー→スペイン→イギリス→アイルランド→アメリカ→日本(19世紀後半)


の3つということになりそうです。

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