写真:韓国のB級グルメ、カムジャタン
ジャガイモが韓国に入った時期は、朝鮮王朝実録などに記載がないのでよくわかりませんが、『五洲衍文長箋散稿』という文献によると、1824~1825年に清国から入ったんだそうです。
清の人たちが、高麗人参を採るために密入国してきた道々にジャガイモを植え、それを食料にしていたという真偽不明の話が韓国版ウィキペディアに載っています。
サツマイモは朝鮮王朝実録に、1764~65年に日本から伝わったと書かれているそうです。そしてコグマ(고구마)という名前も、日本のコウコウイモ(孝行芋、対馬でのサツマイモの名称)に由来するらしい。
ジャガイモは韓国語でカムジャ(감자)。
これは漢字語で、中国語の甘藷(韓国音読みはカムジョ、ただし中国語ではサツマイモを指すらしい)に由来するということですから、ジャガイモが中国から入ったことと符合します。
日本の植民地時代、江原道で農業技師のドイツ人、マグリンの指導のもと、ジャガイモが栽培され、1930年代に広がったとのこと。江原道は火田民という焼き畑農業をする人々が多かった地域で、寒冷でやせた土地でも育つジャガイモが歓迎されたようです。
この時代になぜドイツ人の農業技師が植民地下朝鮮にいたのか不明ですが、種芋が日本から持ち込まれたのか、ドイツなのか、すでに栽培されていたもの(清国ルート)なのかはわかりません。
韓国でジャガイモ料理といえば、カムジャタン(ジャガイモスープ)が思い浮かびます。
といっても、この料理におけるジャガイモは脇役で、主役は豚の背骨。場合によってはジャガイモがほとんど入っていないこともあります。また、肉も背骨にわずかについている程度で、箸でそれをこそげ落としながらいただきます。
昔、韓国の国鉄ヨンサン(龍山)駅前に、カムジャタンの店がたくさんあって、よく行ったものですが、そのあたり一帯が再開発され、そばの飾り窓の店とともに、カムジャタンの店も姿を消したのは残念です。
ジャガイモが韓国に入った時期は、朝鮮王朝実録などに記載がないのでよくわかりませんが、『五洲衍文長箋散稿』という文献によると、1824~1825年に清国から入ったんだそうです。
清の人たちが、高麗人参を採るために密入国してきた道々にジャガイモを植え、それを食料にしていたという真偽不明の話が韓国版ウィキペディアに載っています。
サツマイモは朝鮮王朝実録に、1764~65年に日本から伝わったと書かれているそうです。そしてコグマ(고구마)という名前も、日本のコウコウイモ(孝行芋、対馬でのサツマイモの名称)に由来するらしい。
ジャガイモは韓国語でカムジャ(감자)。
これは漢字語で、中国語の甘藷(韓国音読みはカムジョ、ただし中国語ではサツマイモを指すらしい)に由来するということですから、ジャガイモが中国から入ったことと符合します。
日本の植民地時代、江原道で農業技師のドイツ人、マグリンの指導のもと、ジャガイモが栽培され、1930年代に広がったとのこと。江原道は火田民という焼き畑農業をする人々が多かった地域で、寒冷でやせた土地でも育つジャガイモが歓迎されたようです。
この時代になぜドイツ人の農業技師が植民地下朝鮮にいたのか不明ですが、種芋が日本から持ち込まれたのか、ドイツなのか、すでに栽培されていたもの(清国ルート)なのかはわかりません。
韓国でジャガイモ料理といえば、カムジャタン(ジャガイモスープ)が思い浮かびます。
といっても、この料理におけるジャガイモは脇役で、主役は豚の背骨。場合によってはジャガイモがほとんど入っていないこともあります。また、肉も背骨にわずかについている程度で、箸でそれをこそげ落としながらいただきます。
昔、韓国の国鉄ヨンサン(龍山)駅前に、カムジャタンの店がたくさんあって、よく行ったものですが、そのあたり一帯が再開発され、そばの飾り窓の店とともに、カムジャタンの店も姿を消したのは残念です。
しかし背骨の料理は日本ではなかなかお目にかかれません。
フィリピンのクリスピーパタも好物です。豚足を油で揚げたものですが、これも日本で食べる機会は少ないです。
背骨も豚足ももともと日本ではあまり馴染みのない食べ物なんですね。
私はけっこう得意でした。
鍋を覆うように大量のケンニプが出てくる店が好きですが、新大久保で食べたとき、「日本はケンニプが高いから」といって、ケンニプ抜きで出てきたときはがっかりしました。