韓国に関連する仕事をするようになって,朴大統領の伝記を何冊か読みました。その中の『ドキュメント朴正煕時代』(原題-青瓦台秘書室)からご紹介します。
慶尚道の貧農の末っ子(3男1女)として生まれた朴正煕は、同じ貧農出身の全斗煥とは対照的に、自分や親族の間に不正蓄財の噂はほとんどなかった。彼の清廉潔白さに関するエピソードをいくつか。
大統領は,親族のうち生活が苦しい者3人に生活費補助をしていたが、1974年当時、その額は毎月30万ウォンだった。秘書が物価上昇の折から50万ウォンに値上げすることを提案すると、朴大統領は
「君はどんなふうに育ったか知らないが、うちの家は貧しかった。もともと金持ちの生活をした人間でもないのに、そのくらいあれば充分ではないか、何が不足だというのか。私が大統領だからといって親族が浮かれた生活をしてはいかん。30ウォンなら充分だ。それ以上使えば浪費になる。浪費するものまで私が出すことはできない」
結局、50万ウォンに引き上げられたのは朴大統領が非業の死を遂げる直前だった。
それでも朴大統領の親族から3人の国会議員が出たが、朴大統領は、親族が政界に出たり事業に関わるのを嫌った。ほとんどの親族は概ねそれに従ったが、ときには
「あなたには思いやりというものがないのか」
と反発することもあった。そのため、親族のそれぞれのグループの中から才能のありそうな者を少数選んで,ある程度厚遇してやることで、親族の不満を鎮めたという。
娘婿の韓丙起はもともと政界への野心が強かったが、67年の選挙では朴正煕に頼んだにも関わらず公認をはずされて断念、71年にやっと議員になれた。
あるとき、姉がホテルでの還暦祝いに政界人を呼んだことがわかったとき、秘書を呼びつけて
「おまえは何をしているのか。今がどういう時だと思って東急ホテルで7~8人も集まって豪華な宴会をするのだ。誰が行ったのか調査せよ」
親族の素行を監視するためにそれぞれの家に警察官を配置した、という話もある。
朴正煕が大統領になってまもなく、長兄が訪ねてきて
「故郷の人々が私に向かって、これからは国のためにいろいろ仕事をしなくちゃならないと言って、いくつかの事業の話をもちかけてくる」
と話した。調べると案の定、利権がらみの事業だった。朴正煕は
「兄さん、わかりました。その件は私が調べて処理しますから、どうか故郷で農業を続けてください」
と言って、以後、故郷の警察に指示し,兄の家に出入りする者をチェックさせた。
親族に対しては一様に厳しかったが、とくに外家(妻の家)よりも本家に対して厳格であった。朴大統領の死の直後、親戚が集まって
「大統領の親族として道義を尽くして立派に葬儀をするべきだ」
という話が出たとき、本家筋のある者は
「ちょっと待ってください。叔父貴が私たちに何をしてくれたというんですか。建前ばかり振りかざして、妻の家の方はあれほど構ってやりながら私たちは本家だからといって、まともに面倒を見てくれたことがありますか。いつも怒ってばかりで…」
ただ、これは必ずしも差別ではなく、妻の家はもともと富裕な家柄で、高い教育を受けていた者が多かったから、結果として、出世した者が妻の縁者に多かっただけということのようだ。
親族の中にはやはり不出来な者がいるもので、定職につかずぶらぶらしている甥が、あるとき死傷事故を起こした。警察署は大統領の甥だということで処置に困っていたところ、朴大統領はその話を聞くや否や市警局長に電話をし、
「何をしている。人を轢き殺したら捕まえるのが当然ではないか。大統領の甥だといって見逃してどうする。すぐさま捕まえろ。そいつの性根をたたき直してやる」
と怒鳴った。
親族が政界や事業にうってでようとすると、
「お前にどんな政治ができるというのか」
「お前にどれほどの経営の才能があるのか」
といってたしなめるのが常だった。要するに「身の程哲学」といえる。
朴大統領は,民主勢力を弾圧し、独裁体制を敷きながら、国民各自が身の程を知って努力せよ、そうすれば豊かになれる、「ハミョンテンダ(なせばなる)」という信念で、経済計画を強力に押し進めていきました。
ある意味で、これは非常に日本的な考え方だと思います。そのような考え方を学んだのは、やはり満州軍官学校(途中日本の陸軍士官学校へ留学)で受けた教えと無関係ではないでしょう。
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朴大統領は、民主化された貧困より,独裁下の生活向上のほうが国民の大多数の幸せにつながると考えたんでしょうね。
「後世の評価」は,朴大統領の判断が正しかったことを証明しています。
すいません。まったく覚えてない書き込みです・・・。酔っ払った状態でブログを読んで、そのまま何かを書き込もうとしたようですが、何が書きたかったのかよく分かりませんね。。何か、すいませんでした。