犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

なぜ人を殺してはいけないのか

2024-08-11 22:37:50 | 朝ドラ

「どうして人を殺しちゃいけないのか」

「虎に翼」の美佐江の疑問をそのまま書名にした本があります。

 小浜逸郎『 なぜ人を殺してはいけないのか-新しい倫理学のために』(2000年、洋泉社刊。その後PHP文庫)です。

 著者小浜逸郎(こはま・いつお)は1947年生まれ。学習塾を経営をするかたわら、評論・執筆活動を始め、1985年『学校の現象学のために』以後、家族論、学校論、ジェンダー論、政治論、倫理学など、著書多数。国士館大学教授、横浜市教育委員なども務めました。2023年死去。

『 なぜ人を殺してはいけないのか』の目次を掲げると、

第一問 人は何のために生きるのか
第二問 自殺は許されない行為か
第三問 「私」とは何か、「自分」とは何か
第四問 人を愛するとはどういうことか
第五問 不倫は許されない行為か
第六問 売春(買春)は悪か
第七問 他人に迷惑をかけなければ何をやってもよいのか
第八問 なぜ人を殺してはいけないのか
第九問 死刑は廃止すべきか
第十問 戦争責任をどう負うべきか
※第十問は、文庫版では「国民は主権を持つのか」


 20世紀末に日本で酒鬼薔薇事件など少年による凶悪犯罪が相次いだことを契機に、倫理に関わる根本的な疑問を十個とりあげ、筆者の見解を述べたもの。

 第六問 の「売春(買春)は悪か」は、美佐江の疑問、「どうして自分の体を好きに使ってはいけないのか」に対応します。

 もちろん、1953年の美佐江と2000年の小浜では、時代も違えば問題意識も違う。2000年は、援助交際という名の未成年売春が広がっていましたが、1953年当時は、戦争未亡人などによる「生活型」の売春が主流であり、ドラマにあるような「女子高生売春」はほとんどなかった。小浜も、成人女性の売春と未成年売春を分けて検討しています。

 第十問の「戦争責任をどう負うべきか」は「虎に翼」の星航一の「戦争責任」認識につながります。

 星航一は、1940年に設置された「総力戦研究所」の研究生。日米戦争を想定した総力戦の机上演習を行い、分析の結果、「日本は万に一つも勝利の可能性はない。日米開戦は避けるべき」と結論に達し、時の政府に提言したが、政府に取り上げられず、研究所は解散。

 星航一は、三淵乾太郎という実在の人物をモデルにしており、「総力戦研究所」の話は史実に基づくんだそうです。

 一方、小浜逸郎は戦後生まれ(1947年生)。本では、「戦後生まれの日本人にも、太平洋戦争の戦争責任を負うべきか」を問うている。

 ドイツのナチスは、選挙で選ばれた政権であり、ナチスの犯罪について、ドイツ国民の責任は免れない。しかし、日本軍部は選挙で選ばれたわけではないので、ドイツと比べることはできません。

 小浜はまず、自らの戦争認識を整理します。

「1931年の満州事変に始まる対中戦争は、侵略戦争であった。しかし、対米戦は、アメリカの日本封じ込めによって誘発された側面も大きく、一方的に日本が悪いとはいえない。また、日本本土の無差別爆撃と原爆投下はあきらかに過剰攻撃であり、アメリカの「戦争犯罪」であった」

 そのうえで、丸山真男を引きつつ、戦争の同時代者は、自分の属していた階層、集団、職業によって異なるが、一般国民もまた多少なりとも「道徳的責任」があるとします。

「道徳的責任は、ある「悪」の現場に居合わせた時にそれに加担する姿勢を示したか、反対する姿勢を示したかによって測られ、また事後にその責任を果たしたか果たしていないかは、その後の生きる姿勢の表現とか言語による姿勢の表明によって判断される」

 この見解に従えば、星航一は、「対米戦争開始」という決定的な瞬間において、あきらかに「反対する姿勢」を示しました。したがって、道徳的責任はない。

 しかし、戦後、裁判官として国家の中枢にいる立場から、前政権の「悪」(見通しの誤りと戦争における失敗)の結果から被害を受けた人々(戦死者、戦災被害者)に対して、「政治責任」を負う。

 では、戦後生まれの日本人はどうか。

 戦後世代は、あの戦争に居合わせなかったので、道徳的責任は存在しえない。しかし、戦後日本の政府から、国民国家の一員として「法的保護」を受け、人権を保障されている以上、戦前の政府と連続性のある戦後の政府の「負の遺産」を受け継がなければならないので、やはりある程度の「政治的責任」を負う。

 ただ、一般国民の具体的行動としては、「より正確な歴史認識を持とうとする努力を怠らず、政治参加の際にそれをなるべく生かす」という程度の責任の果たし方しかない。

 これが小浜の結論であり、私もこれに賛成します。

 隣国韓国は、日本の植民地支配責任に対する「道徳的責任」と「政治的責任」を、未来永劫追求しようとする姿勢を見せてきました(現在の尹錫悦政権よりも前の政権まで)。

 それに対し、故安倍晋三首相は、2015年の「終戦70年の談話」で、次のように述べました。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

終戦70年安倍談話

 安倍首相もまた戦後生まれ(1954年生)なので、小浜の理屈では、「道徳的責任」はない。

 しかし、戦後世代としての「政治的責任」をきちんと果たし、「慰安婦問題」など、日韓間の懸案を解決。若い世代は韓国からなんと言われようと、「謝罪を続ける」必要はない、と宣言しました。

 これについて、心ある韓国人(尹錫悦大統領を含む)はそれを受け入れています。

韓国人よ、あなたたちは何者か?

 次の選挙で反日・左翼政権が復活し、日本に対する謝罪と賠償の要求を蒸し返さないといいのですが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「虎に翼」に思う~『罪と罰』 | トップ | 原爆記念日の朗読劇 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

朝ドラ」カテゴリの最新記事